高校世界史B
5分でわかる!プロイセンという国家の成立
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この動画の要点まとめ
ポイント
プロイセンという国家の成立
これでわかる!
ポイントの解説授業
ポイントの1つ目は「プロイセンの成立」です。
プロイセン絶対王政について説明する前に、そもそも プロイセン とはどういう国なのかをお話します。
2つの国が合体して成立!
プロイセンは 2つの国 が合体して成立しました。そのうちの1つは ブランデンブルク選帝侯国 です。
この国はもともと12世紀前半に成立しましたが、15世紀からは ホーエンツォレルン家 によって支配されるようになりました。
もう1つの国は ドイツ騎士団領 です。ドイツ騎士団領は、もともと 東方植民 によって成立しました。
東方植民とは、中世ヨーロッパで見られた ドイツ人による植民活動 のこと。人口増加に伴い、彼らは新しい土地を手に入れようとしたのです。
この植民活動の過程で、ドイツ騎士団領が成立しました。16世紀前半には ルター派 を受け入れ プロイセン公国 と改名します。
神聖ローマ皇帝を支援したことで、プロイセン王国が成立
1701年、フランスのルイ14世が孫をスペイン王に即位させようとしたことで スペイン継承戦争 が起こりました。
この戦争でプロイセンは 神聖ローマ帝国を支援 し、見返りに「王国」に昇格することを認められました。
こうして1701年に プロイセン王国 が成立しました。 ブランデンブルク選帝侯国 と プロイセン公国 が合体し、プロイセン王国となったのです。
「兵隊王」フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
1713年、 フリードリヒ=ヴィルヘルム1世 がプロイセン国王に即位しました。彼は 軍隊の強化 に力を入れたため「 兵隊王 」と呼ばれています。
軍隊の他にも 官僚制 が整備されるなど、彼の時代に絶対王政の基盤が築かれました。
プロイセン王国が成立する過程と、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世により絶対王政の基盤が築かれたことをしっかり覚えておきましょう。
東欧絶対王政の2回目。
今回は、「プロイセン絶対王政」について学習します。