5分でわかる!合理的な絶対王政!?
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この動画の要点まとめ
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啓蒙専制君主フリードリヒ2世の登場!
1740年、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世の息子 フリードリヒ2世 がプロイセン国王に即位しました。彼は 啓蒙専制君主 としてプロイセンの改革を進めました。啓蒙専制君主については前回の授業(オーストリア絶対王政)でも説明しましたね。
フリードリヒ2世は、プロイセンが発展するために必要なことを合理的に考え、国王主導の近代化改革を進めようとしました。
彼の姿勢は「 君主は国家第一の僕(しもべ) 」という言葉に表れています。「国家の利益が第一であり、王は国家に尽くす一番の部下であるべきだ」という意味です。フランスの ルイ14世 の言葉とされる「 朕は国家なり 」とは正反対ですね。
ちなみにフリードリヒ2世は、フランスの啓蒙思想家 ヴォルテール と親交がありました。ヴォルテールの啓蒙思想が、フリードリヒ2世に大きな影響を与えたことも覚えておきましょう。
フリードリヒ2世の政策
続いて、フリードリヒ2世が行った政策を紹介していきます。彼は 農場領主制(グーツヘルシャフト) を実施し、プロイセンの財政基盤としました。
農場領主制とは、貴族が大農場を所有し、農民たちを農奴として用いる農業の仕組みです。
大航海時代以降、西欧では商工業が盛んになり、商工業者が増加する一方で農業従事者が減少していました。そこでフリードリヒ2世は農場領主制のもとで 西欧への輸出用穀物 を栽培させ、西欧に輸出することで利益を得たのです。
ちなみに、大農園を経営する貴族たちは ユンカー と呼ばれました。
フリードリヒ2世は、ベルリン郊外の都市ポツダムに サンスーシ宮殿 を建設しました。フランスのルイ14世の命で建設された ヴェルサイユ宮殿 のような派手さはありませんが、上品で落ち着いた ロココ様式 のデザインが特徴です。
オーストリアからシュレジエン地方を獲得
前回の授業でも学習しましたが、プロイセンは1740年に始まった オーストリア継承戦争 の結果、マリア=テレジアから シュレジエン 地方を獲得しました。シュレジエン地方は 石炭や鉄の産地 です。
さらに1772年の 第1回ポーランド分割 に参加するなど、プロイセンは着実に領土を拡大していきました。
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世 が固めた地盤をもとに、 フリードリヒ2世 の時代にプロイセン絶対王政が進展していきました。この流れをしっかり復習しておきましょう。
ポイントの2つ目は、「プロイセンの発展」です。
ポイント1では フリードリヒ=ヴィルヘルム1世 が 絶対王政の基盤を整えた ことを紹介しました。ポイント2では、その基盤をもとに プロイセン絶対王政が進展していく様子 に注目します。