5分でわかる!イギリスの伝統を守らない王の登場!
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「国王と議会の関係悪化」です。
イギリスでは、古くから 国王 と 議会 が協力して政治を行っていました。 テューダー朝 の国王で、イギリス宗教改革を進めた ヘンリ8世 や エリザベス1世 といった名だたる君主たちも例外ではありません。彼らは議会と協力して統治にあたっていたのです。この協力体制は、イギリスの「伝統」と呼べるものでした。
イギリスの伝統を無視する国王、ジェームズ1世の登場!
1603年にエリザベス1世が亡くなり、テューダー朝が途絶えると、新たに ジェームズ1世 が即位して ステュアート朝 を創始しました。彼はスコットランド王でありながらイギリス国王を兼任するかたちで即位したのですが…
困ったことに、ジェームズ1世はイギリスの伝統を無視して 専制政治 を行いました。 王権神授説 を信奉し、議会を軽視する政治を行ったのです。当然、彼は議会の不満を買いました。
ジェームズ1世はさらに イギリス国教会 の信仰を強制したため、国内の ピューリタン からも嫌われるようになりました。
ジェームズ1世の息子、チャールズ1世も議会と対立
ジェームズ1世が退位した後、彼の息子 チャールズ1世 が即位しました。困ったことにチャールズ1世は、父と同じく 議会を軽視した政治を進めようとしました。
これに対し議会は「 権利の請願 」という文書を提出し、国王の独断による課税や不当な逮捕などの停止を要求しました。これを受けて、チャールズ1世はなんと 議会を強制的に解散させたのです!
戦争資金を集めるため、短期議会を招集
チャールズ1世が議会を解散してから約10年後、彼の地元 スコットランド で イギリス国教会の強制に対する反乱 がおきました。反乱鎮圧に必要な資金を集めようと、チャールズ1世は 11年ぶりに議会を招集しました。
議会を一度解散しておいて、自分の都合で再び招集。このふるまいに議会は当然反発しました。チャールズ1世の提案は議会に拒否され、議会は解散してしまいました。 招集されてからわずか3週間で解散 したため、この議会のことを 短期議会 と呼ぶのです。
賠償金支払いのため、長期議会を招集
議会に拒否されたことで、チャールズ1世は戦費を集めることができず、 スコットランドの反乱鎮圧に失敗してしまいました。 結局彼は スコットランドに賠償金を支払うはめになったのです。 その賠償金を支払うためにとった行動が… 再度の議会招集でした。
短期議会の解散から約半年後、チャールズ1世は再び議会を召集し、賠償金支払いのため資金を集めようとしました。この議会のことを、短期議会に対して 長期議会 と呼びます。
議会は賠償金の費用の捻出を認める代償として、チャールズ1世に様々な改革を要求しました。しかし、彼はこれを再び拒否したのです。
こうしてイギリス議会では、国王を支持する 王党派 と、議会による改革を推進する 議会派 との対立が深まっていくことになりました。
イギリス市民革命の1回目。
今回は「国王と議会の対立」について学習します。