5分でわかる!イギリス史上最初で最後の共和制!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「クロムウェルの独裁」です。
前回は、イギリスで ピューリタン革命 が発生し、 国王チャールズ1世が処刑されてしまった ことを説明しました。国王がいなくなった後、イギリスではどのような政治が行われたのでしょうか?
共和政の開始|クロムウェルの独裁が始まる!
チャールズ1世が処刑された後のイギリスの政治体制を 共和政 といいます。共和政の主導者は、ピューリタン革命において 議会派 のリーダーであった クロムウェル でした。
アイルランドとスコットランドを征服
1649年、クロムウェルは アイルランドを征服 し、奪った土地を国民に分配しました。翌年には スコットランドを征服 し、ピューリタン革命で議会派と対立した 王党派 の残党を討伐しました。
オランダとの戦争
1651年、クロムウェルは 航海法 を発布しました。これは、イギリスと他国との貿易において、イギリス船か貿易相手国の船を使用することを定めた法律です。 中継貿易 で繁栄していた オランダの船を排除する目的で制定されました。
1652年、航海法に反発するオランダとイギリスの間で イギリス=オランダ戦争 が始まりました。この戦いに勝利したのは イギリス です。イギリスは航海法の制定をオランダに認めさせ、海上覇権を獲得しました。
クロムウェルの独裁体制が完成
アイルランドとスコットランドを征服した上に、イギリス=オランダ戦争に勝利。イギリスの共和政は順調に発展を遂げていくかに見えました。しかし…こちらを見てください。
1653年、クロムウェルは長期議会を解散して 護国卿 (ごこくきょう)に就任し、 政治・軍事上の最高権力者 として君臨しました。共和政とはいいながらも、 実質的にはクロムウェルによる独裁政治が行われることになったのです。
余談ですが、クロムウェルは熱心な ピューリタン (清教徒)だったので、国民に ピューリタン道徳 を強制しました。
具体的には 夜間の外出や、劇場・競馬といった娯楽が禁止 されたのです。人びとは次第に息苦しさを覚え、独裁者と成り果てたクロムウェルに不満を持つようになっていきました。
イギリス市民革命の2回目。
今回は「クロムウェルの独裁と王政復古」について学習します。