5分でわかる!スチュアート朝の復活!
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この動画の要点まとめ
ポイント
イギリス市民は徐々に不満を高め、国王の復活を望むようになります。そして、1658年にクロムウェルが死去すると 再び国王による政治が行われるようになったのです。 これを「 王政復古 」といいます。
王政復古|チャールズ2世の政治
1660年、 チャールズ2世 が国王に即位しました。クロムウェルの独裁を経て、再び国王がイギリスに戻ってきたのです。こちらを見てください。
共和政の期間フランスに亡命していたチャールズ2世は、イギリスに帰ってくると、あろうことか 議会を軽視する専制政治 を行い、さらには カトリックの復活を宣言 しました。
彼がこんな政策を行った理由として、亡命先フランスの影響が挙げられます。当時のフランス王は 絶対王政の最盛期 を築いた ルイ14世 でした。彼は 熱心なカトリック信者 だったことで知られます。
彼は1685年に ナントの王令を廃止 し、 ユグノー(新教徒)の信仰を否定しています。 カトリック以外の信仰は認めない、という立場だったわけですね。そんなルイ14世の影響を強く受けて、チャールズ2世はカトリックを復活させようとしたのです。
議会の抵抗|審査法と人身保護法の制定
もちろん議会は黙っていません。国王の力を制限しようと 2つの法律 を制定しました。
その1つが 審査法 です。議員などの公職には国教徒しか就任できないように制限することで、チャールズ2世のカトリック政策に対抗しました。
もう1つが 人身保護法 です。この法律で 人民の不当な逮捕が禁止されました。 この2つの法律は 国王に対抗するために議会が作った法律 なのです。
議会の分裂|トーリ党vsホイッグ党
専制政治を行う国王に対し、議会は一致団結して立ち向かいました。しかし、議会はこの後 チャールズ2世の弟ジェームズの王位継承問題 をめぐって2つの派閥に分裂することになります。こちらを見てください。
ジェームズの王位継承に賛成したのが トーリ党 (後の 保守党 )、反対したのが ホイッグ党 (後の 自由党 )です。両党は対立したものの、最終的にトーリ党の意見が採用されることになりました。1685年、ジェームズは ジェームズ2世 として即位したのです。
次のポイントでは、ジェームズ2世が即位した後のイギリスの様子を学習します。
ポイントの2つ目は「王政復古」です。
ポイント1では クロムウェルの独裁 についてお話しましたね。共和政の指導者 クロムウェル は、1653年に 護国卿 に就任し、軍事独裁政治を行いました。