5分でわかる!国王は議会に歯向かえない!
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ジェームズ2世の悪政!
ここまでの流れをおさらいしましょう。
1658年、共和政の指導者 クロムウェル が死去すると、イギリスでは王政が復活しました( 王政復古 )。最初に国王に即位したのが、ポイント2で学んだ チャールズ2世 でした。
彼の次に即位するのが、弟である ジェームズ2世 です。ジェームズ2世は カトリックの保護 や 専制政治の強化 など、兄チャールズ2世に負けず劣らずの強権的な政治を行いました。
名誉革命|議会がジェームズを追い出す!
ジェームズ2世の圧政に耐えかねて、議会はついに 彼をイギリスから追放することを決定しました。 オランダ総督とその妻メアリを国王として招致し、ジェームズ2世を亡命に追い込んだのです。
ちなみに、オランダ総督の妻メアリには ステュアート朝の血が流れていた ため、王位を継承する権利を持っていました。
こうして議会はジェームズ2世をイギリスから追い出すことに成功しました。ただ、イギリスから追い出したとはいっても、その過程で犠牲者は一人も出ず、血が一滴も流れることはなかったのです。そこから、一連の国王交代劇は 名誉革命 と呼ばれています。
「権利の宣言」と「権利の章典」
オランダ総督と妻メアリは、新国王 ウィリアム3世 と メアリ2世 として1689年に即位しました。2人は即位にあたって、議会が提出した「 権利の宣言 」の内容を受諾しました。
「 権利の宣言 」には、議会の承認による課税や自由な討論、不当な逮捕や裁判の禁止などが規定されていました。
さらに議会は「権利の宣言」を文章化・成文化し、同年に「 権利の章典 」を制定しました。「権利の章典」では、議会は国王の権利に優越することが、つまり「国王は議会に歯向かえない」ことが明確化されたのです。こうしてイギリスでは 立憲王政 が確立しました。
アン女王の統治|大ブリテン王国の成立
ウィリアム3世・メアリ2世の後にイギリス国王に即位したのは アン女王 です。こちらを見てください。
彼女の時代には、同君連合だった イングランド と スコットランド が合体して 大ブリテン王国 が誕生しました。同君連合とは、複数の国の君主が同一人物である状態を指します。
以上、ポイント3では ジェームズ2世 が即位した後のイギリスについて勉強しました。特に大事なのが、名誉革命で ウィリアム3世 と メアリ2世 が即位し、「 権利の章典 」により 立憲王政 が確立したことです。
イギリスでは、国王よりも議会の力が強くなったことも合わせて覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「立憲王政の成立」です。
ポイント2で紹介した チャールズ2世 の弟、 ジェームズ2世 が即位した後のイギリスの様子を見ていきましょう。