5分でわかる!「王は君臨すれども統治せず」
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「議会政治の完成」です。
みなさんは「 王は君臨すれども統治せず 」という言葉を聞いたことがありますか?これは イギリスの政治体制 を表す言葉で、国王は存在しますが、政治権力は持っていないという状態を表しています。
では、いったい誰が政治を進めていくのでしょうか?今回はその疑問に答えながら、イギリスの政治体制が確立していく様子を学習します。
ステュアート朝の断絶/ハノーヴァー朝の創始
1714年、イギリスでは アン女王 が死去しました。彼女は前回も登場しましたが、1702年にイギリス国王に即位した後に 大ブリテン王国 を成立させた人物です。
アン女王が亡くなったことで、イギリスでは ステュアート朝 が途絶えることになりました。
彼女の代わりに新しく即位したのは、ドイツ出身の ハノーヴァー選帝侯 でした。彼はステュアート朝と血縁関係にあったので、国王に選ばれたのです。
こうして1714年にイギリス王 ジョージ1世 が即位することになりました。彼はもともと ハノーヴァー選帝侯 だったので、ジョージ1世即位後のイギリス王朝は ハノーヴァー朝 と呼ばれています。
ここで一つ問題が発生しました。ドイツ出身のジョージ1世は 英語を話せず 、 イギリスの慣習も知らず 、 政治にも無関心 だったのです。
国王が政治をしてくれないわけですから、誰かが代わりに政治を行う必要があります。そこでイギリスでは「 内閣 」と呼ばれる組織が誕生しました。こちらを見てください。
内閣は「国王」ではなく「議会」に対して責任を負う
内閣は、行政を担当するにあたって 議会に対して責任を負います。 もし内閣の政治がうまくいかず、議会から「不信任決議」を出された場合は、 内閣総辞職 か、 議会の解散 かを選ばなければならないのです。このような体制を 責任内閣制 と呼びます。
内閣が責任を負っているのは 「議会」であって「国王」ではない 点に注意してください。内閣の政治に口出しできるのは国王ではなく議会だけなのです。
また、責任内閣制のもとで、1721年に ウォルポール が首相に就任しました。彼は イギリスの初代首相 として有名です。
こうしてイギリスでは 内閣 が成立し、 国王ではなく議会に対して責任を負いながら 政治を進めていくことになりました。国王はちゃんと存在していますが、 政治に口出しをすることはできなかった のです。
「 国王は君臨すれども統治せず 」この言葉とともに、イギリスの政治体制をしっかり理解しておきましょう。
イギリス市民革命の3回目。
今回は「議会政治の完成と産業革命の始まり」について学習します。