5分でわかる!なぜ、イギリスは世界初の産業革命をむかえたのか?
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この動画の要点まとめ
ポイント
産業革命が起こったのはイギリスだけではありませんが、世界で最初に産業革命を迎えたのはイギリスです。
イギリスで産業革命が起こったのには、大きく 3つの要因 があります。順番に確認していきましょう。
「資本」の蓄積
1つ目の要因は 「資本」の蓄積 です。
要は イギリスにはお金がたくさんあった ということです。
こちらを見てください。
18世紀のイギリスでは、伝統的な 毛織物 業が発達するのに加え、インド産の 綿織物 が人気を高めていました。貿易でも国内消費においても人気だったので、次第に 綿織物を国内で作ろう という動きが見られるようになりました。
毛織物にしても綿織物にしても、製品を作るためには工場を作ったり、人を雇ったりする必要があります。当時のイギリスには、そのためのお金が十分にありました。
つまり 十分な経済力があった ことが、産業革命を迎えた1つの要因だったというわけです。
「市場」の確保
2つ目の要因は 「市場(しじょう)」の確保 です。
いくら商品を作っても 売る相手 がいなければ商売になりません。
イギリスは 広大な植民地を有していた ため、植民地に自国の製品を売りつけたり、製品を安く買い叩くことで利益を得ていたのです。こちらを見てください。
1688年から1815年まで、イギリスはフランスと 第2次英仏百年戦争 と呼ばれる 植民地争奪戦 を戦いました。この戦いに勝利したイギリスは、北米やインドなどの植民地を獲得することになりました。
植民地に対して製品を売りつけたり、反対に植民地で 商品作物 を育てさせ、イギリス本国へ輸出させることで、イギリスは利益を得ることができたのです。
このように 植民地という「市場」を確保していた ことも、イギリス産業革命の要因の1つです。
「労働力」の確保
3つ目の要因は 「労働力」の確保 です。
産業革命では 生産技術が発達 し、これまで手作業で作っていたものが 工場の機械で作れるようになります。 そこで 工場で機械を操作してくれる労働者 が必要になったのです。
イギリスは、この「工場労働者」を確保することに成功しました。その大きな理由として 農業革命 という出来事が挙げられます。
どうして「農業」革命が起きると、工場労働者の確保につながるのでしょうか?こちらを見てください。
18世紀のイギリスでは ノーフォーク農法 と呼ばれる 輪作農法 が考案されました。「輪作」とは、同じ耕地の中で複数の作物を循環して育てる農法のことです。
この農法を導入するために、イギリスでは 第2次囲い込み が行われました。複数の土地がまとめられ、ノーフォーク農法を行うための土地として柵で囲い込まれたのです。
左側のイラストが 第2次囲い込み を、右側が ノーフォーク農法 を示しています。ノーフォーク農法の品目に かぶ と クローヴァー がありますが、これらは動物を育てるための 飼料 として育てられました。
さらに、かぶやクローヴァーは あまり土地の養分を吸わずに成長する ので、耕地を4つに区分してローテーションで育てることで 交代で土地を休ませることができるのです。
第2次囲い込みにより、複数の農民の土地が囲い込まれました。土地を奪われた農民は仕事を失くし、 都市へ出て工場労働者となったのです。 こうして農業革命の結果 工場労働者 が増え、イギリスは「労働力」を確保することができました。
以上、イギリス産業革命の 3つの要因 を説明しました。 「資本」の蓄積 、 「市場」の確保 、 「労働力」の確保 の3つです。
次の授業では産業革命の詳しい内容を勉強しますが、まずはこの 産業革命が起こった要因 をしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「イギリス産業革命の始まり」です。
18世紀のイギリスでは、世界で始めて 産業革命 が起こりました。産業革命とは、機械の発明などの 技術革新 と、それに伴う 社会の変化 をさす言葉です。