5分でわかる!国王のいないフランスへ!
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この動画の要点まとめ
ポイント
立法議会の内部対立!フイヤン派vsジロンド派
国民議会が解散した後、1791年に立法議会が成立しました。実はこの立法議会、成立した当初から議会内での派閥争いが行われていました。こちらを見てください。
立法議会内で対立していたのは、フイヤン派とジロンド派です。フイヤン派は立憲王政を主張する、かつての国民議会のメンバーが主でした。対するジロンド派は、国王を不要と考える穏健共和政を主張していました。
ジロンド派内閣の成立
対立の結果、政治の主導権を握ったのはジロンド派でした。こうして立法議会ではジロンド派内閣が誕生することになったのです。
ジロンド派は、国王を不要だと考える共和政を主張していました。彼らは共和政の考え方に基づき、フランスから国王を排除しようとします。しかし、それには大きな障害が立ちはだかります。そう、ポイント2で紹介したピルニッツ宣言の提唱者オーストリアです!
オーストリアはフランス国王を守ろうと、フランス議会への警告としてピルニッツ宣言を発表しました。フランスが共和政に移行するためには、このオーストリアを倒さなければいけません。そこでジロンド派内閣はオーストリアに宣戦布告したのです。
しかし、相手は強国オーストリア。フランスは次第に劣勢に立たされてしまいます。すると、各地から義勇軍がパリに駆けつけ、立法議会を、そして祖国フランスを救おうと戦いに参加したのです。
義勇軍の参戦で、戦力を増したフランス。しかし、この後フランス立法議会は思わぬ事態に直面することになりました。
8月10日事件
1792年8月10日、サンキュロットと呼ばれる都市労働者たちや義勇兵が、国王が暮らす宮殿を襲撃するという事件が起こったのです。これを8月10日事件と呼びます。サンキュロットや義勇兵は、普通選挙の実施などを求めてこの暴動を起こしました。
立法議会はあわてて王権の停止を宣言します。そして、次の選挙では財産に関係なく男性全員が参加できることを約束し、立法議会は解散したのです。
ヴァルミーの戦い
立法議会が男性普通選挙を約束して解散したことで、フランスの勢いは高まります。1792年の9月20日にはヴァルミーの戦いで革命軍がプロイセン軍に勝利したのです。義勇兵からなるフランス軍は、この戦いで初めて、プロイセン・オーストリアの連合軍に勝利を収めました。
以上、このポイントでは立法議会の成立から解散までの流れを説明しました。1792年の8月10日事件の結果王権の停止が宣言され、ついに国王のいないフランスが成立したのです。今回学んだ内容を、しっかり復習しておいてくださいね。
ポイントの3つ目は、「立法議会の成立と王権の停止」です。
ポイント2の最後で国民議会が解散したことを勉強しましたね。
ポイント3では、国民議会が解散した後のフランス革命の進展について勉強します。