5分でわかる!もう独裁はこりごり!リーダーを5人にした政府
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この動画の要点まとめ
ポイント
1795年憲法の制定/総裁政府の誕生
ロベスピエールが処刑された後に、フランスでは 1795年憲法 が制定されました。この憲法で 男性普通選挙は廃止 され、再び財産資格による制限選挙制が復活しました。男性普通選挙を実施すると、フランス人口の多数を占める貧困層の票がジャコバン派のような過激派に集中する危険性があります。そこで制限選挙を実施し、恐怖政治のような混乱を防止しようとしたのです。
また、この憲法に基づいて 総裁政府 が発足しました。これは 5人の総裁による政府 です。総裁、つまり政権のリーダーを複数もうけることで、 独裁政治の発生を防ごうとしたのです。
5人もリーダーがいれば、確かに独裁を防ぐことはできます。しかし、同時に 決断のスピードが遅くなる という欠点も抱えることになるのです。何でもかんでも5人で話し合いをしていれば、時間がかかるのは当然ですよね。こうした欠点を抱える総裁政府の時代には、 王党派の反乱 や バブーフの陰謀 といった様々な事件が発生しました。
ナポレオン=ボナパルトの登場
反乱やクーデタが起こるなど、当時のフランスは混乱状態にありました。そんなフランスで活躍を見せたのが ナポレオン=ボナパルト という人物です。こちらを見てください。
1796年、ナポレオンは イタリア遠征 を行い、イタリアの地で オーストリア軍を破りました。 この勝利によって、フランス革命を警戒するヨーロッパ諸国が結んだ 第1回対仏大同盟 は崩壊しました。
ナポレオンはさらに、1798年には エジプト遠征 を行って イギリスのインド航路を妨害しようとしました。 ただ、イギリスの海軍提督 ネルソン の活躍によりナポレオンは敗北し、1799年に 第2回対仏大同盟 が結成されることになりました。
ついにフランス革命が終結!
イタリア遠征やエジプト遠征でのナポレオンの活躍に、フランス国民は喝采を送りました。国民の期待を受けたナポレオンは、遠征を終えてフランスに帰国すると、1799年の ブリュメール18日のクーデタ で総裁政府を打倒し、 自身をリーダーとする新たな政府をつくりあげました。 1789年に始まったフランス革命は、このクーデタをもって終結することになります。
総裁政府が誕生した後、 ナポレオン が登場し、政権を奪うまでの流れをしっかり復習しておきましょう。
ポイントの2つ目は、「総裁政府の成立とフランス革命の終結」です。
ポイント1で登場した ロベスピエール を覚えていますか? 山岳派 の代表として 恐怖政治 を行った彼は、 テルミドール9日のクーデタ で失脚し、処刑されてしまいましたね。その後のフランスがどうなったのか、これから一緒に勉強していきましょう。