5分でわかる!統領政府時代のナポレオン
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「統領政府時代のナポレオン」です。
前回の授業の最後に、ナポレオンは ブリュメール18日のクーデタ で 総裁政府 を倒し、フランス革命を終結させました。その後、ナポレオンはどのような政治を行ったのでしょうか?
統領政府の成立/ナポレオンは第一統領に就任
1799年、ブリュメール18日のクーデタを受けて 統領政府 が成立しました。この政府には3人のリーダーがいたのですが、ナポレオンはそのうちのトップである 第一統領 に就任します。名目上3人のリーダーは対等でしたが、実際はナポレオンに権力が集中していました。
ナポレオン、ローマ教皇と和解
統領政府の第一統領に就任したナポレオンは、さまざまな政策を行って国民の支持を集めました。例えば彼は ローマ教皇と和解し、フランスにおけるカトリック信仰を正式に復活させました。
フランス革命において、政府はカトリック教会の領地を没収したり、信仰を禁止するなどの政策をとっていました。しかし、フランス国内には多くのカトリック教徒が暮らしています。そこでナポレオンは教皇と和解し、フランスにおけるカトリック信仰を復活させたのです。こうして彼は国内のカトリック教徒から支持を集めることに成功しました。
アミアンの和約
さらにナポレオンは、1802年に アミアンの和約 を締結しました。これは、フランスとイギリスとの間に結ばれた 休戦条約 です。1793年に第1回対仏大同盟が結成されて以降、イギリスとフランスは対立状態にありました。しかし、ナポレオンがアミアンの和約を結んだことで両国の休戦が実現し、同時に 第2回対仏大同盟が消滅することになりました。
アミアンの和約が結ばれたことで、しばらくは平和な期間が続くことになりました。こうしてナポレオンは、さらに国民の支持を集めることに成功したのです。
ナポレオン法典
ナポレオンの業績の中でも、特に彼の人気を高めたのが ナポレオン法典 の制定でした。1804年に制定されたナポレオン法典には、 私有財産の不可侵 や、 契約の自由 などが規定されていました。ナポレオンはフランス革命によって市民が獲得した数々の権利を、法典にまとめたのです。
以上、統領政府時代のナポレオンの政策を説明しました。カトリック信仰の復活やアミアンの和約、そしてナポレオン法典の制定によって、ナポレオンは民衆からの人気を集めたのです。
フランス革命とナポレオン、第4回。
今回は、「ナポレオン時代のはじまり」について学習します。