5分でわかる!皇帝に即位した英雄ナポレオンの動向!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ナポレオン、皇帝に即位
1804年、ナポレオンは国民投票によって 皇帝に即位しました。 ナポレオンの皇帝としての名前を ナポレオン1世 といいます。また、ナポレオン1世が即位してから、退位するまでのフランスの政治体制を 第一帝政 と呼びます。
ナポレオン1世の即位によって、フランス史上初の「皇帝」が誕生することになりました。皇帝による政治のことを「帝政」と呼ぶのですが、ナポレオン1世の政治は フランス史上初の帝政 であることから「 第一帝政 」と呼ぶのです。
周辺諸国は警戒!第3回対仏大同盟が結成される
皇帝に即位したナポレオンを警戒し、イギリス・オーストリア・ロシアの3国は 第3回対仏大同盟 を結成しました。ナポレオン1世はこれに反発し、1805年の トラファルガーの海戦 でイギリスと戦いました。しかし、イギリスの海軍提督 ネルソン の活躍によりフランスは敗北します。
しかしフランスはくじけません。同年、 アウステルリッツの三帝会戦でロシア軍とオーストリア軍を撃破したのです。 アウステルリッツという場所にフランス・ロシア・オーストリアの3国の皇帝が集ったことから「三帝会戦」という名前がついています。ちなみに、この戦いにフランスが勝利したことで 第3回対仏大同盟は消滅することになりました。
ライン同盟の結成/神聖ローマ帝国の消滅
ナポレオン1世は ドイツ方面 への遠征も行いました。1806年、西南ドイツ諸侯と ライン同盟 を結成したのです。ナポレオン1世とライン同盟を結成した西南ドイツの領邦は、神聖ローマ帝国から離脱することになりました。さらに、この離脱をうけて当時の神聖ローマ皇帝は帝位を退きました。こうして、ライン同盟の結成を契機に 神聖ローマ帝国は消滅してしまったのです。
大陸封鎖令/ティルジット条約
ナポレオン1世はさらに、イギリス経済に打撃を与えようと 大陸封鎖令 を発令しました。大陸封鎖令では、 大陸諸国とイギリスとの通商や交通が全面的に禁止されました。 ヨーロッパ諸国とイギリスとの貿易を禁止し、イギリスを孤立させようとしたのです。
大陸封鎖令は、別名 ベルリン勅令 とも呼ばれます。フランスがプロイセンを破り、その都 ベルリン で発令したからです。フランスに敗れたプロイセンは、1807年にフランスと ティルジット条約 を結びます。この条約でプロイセンは、莫大な賠償金をフランスに支払い、領土の大幅を割譲することになりました。
以上、 第一帝政 の時代のナポレオンについて説明しました。ナポレオンが行った対外政策、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は、「第一帝政時代のナポレオン」です。
ポイント1では、 統領政府の第一統領 に就任した ナポレオン が、国民の人気を集めていく様子を説明しました。この後、ナポレオンはなんと フランス皇帝に即位することになるのです。 ポイント2では、皇帝となったナポレオンの政策に注目します。