5分でわかる!ウィーン体制をみる視点
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この動画の要点まとめ
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まずは、これまでの授業をおさらいしてみましょう。
16~18世紀頃、ヨーロッパは 絶対王政の時代 でした。国王が頂点に君臨し、貴族がその次、市民が一番下という階層が形成されていたのです。市民は力が弱く、国王や貴族によって抑圧されている状態でした。
しかし、この絶対王政は次第に崩れていくことになります。その先駆けとなったのは フランス でした。フランスでは、1789年から フランス革命 が始まったのです。フランス革命によって王政は打倒され、 王権の停止 が宣言されるなど国王不在の時代が訪れました。国王不在のフランスでは、 市民は自由・平等であるという考え方が強まりました。 そして、このフランス革命の理念は ナポレオン によって ヨーロッパ各地へと広がっていったのです。
第1回「絶対王政時代への復帰」
1813年、ナポレオンは ライプツィヒの戦い でプロイセンやロシアに敗れ、 エルバ島 へ流刑されました。すると、ヨーロッパの君主や政治家たちは、各国の政治体制を フランス革命が起こる前の状態に戻そう と考えました。つまりは 絶対王政による政治体制を復活させよう としたのです。
この考え方に基づき、19世紀前半のヨーロッパには新たな国際秩序が生まれることになりました。これを ウィーン体制 と呼びます。国王や貴族は、フランス革命によってヨーロッパに広がった 市民の自由・平等 を抑圧し、再び絶対王政の時代に戻ろうと考えたのです。
ちなみに、ヨーロッパ各国が上記の話し合いを行った会議を ウィーン会議 といいます。各国の君主や貴族が集まり、新たなルール作りや、予想される 市民の反発 への対応を話し合ったのです。第1回では、ウィーン会議やウィーン体制の内容について詳しく説明します。
第2回「ウィーン体制への反発」
第2回の授業では ウィーン体制への反発 について勉強します。革命によって自由や平等を手にした市民たちにとっては、絶対王政を復活させようとするウィーン体制は到底受け入れられるものではありませんでした。こうして、各地で ウィーン体制に反発する動き が見られるようになります。この動きは、ヨーロッパはもちろん ラテンアメリカ (現在の中南米)諸国にも広がっていきました。ただし、ヨーロッパで起きたウィーン体制への反対運動はことごとく鎮圧されてしまいました。
第3回「ウィーン体制の動揺」
ヨーロッパの中でも、特に フランス においてウィーン体制への反発が強く見られました。フランスの市民は フランス革命によって自分たちの自由や平等を勝ち取っています。 そんな彼らが絶対王政の復活にすんなり納得するはずはありません。
第3回の授業では、フランスで起きた 七月革命 と、七月革命が周辺諸国に与えた影響について勉強します。フランスで起きた七月革命は周辺諸国にも影響を与え、 ウィーン体制は動揺することになりました。
第4回「ウィーン体制の崩壊」
七月革命が起きたフランスでは、革命の後も様々な問題が発生し、結果 二月革命 と呼ばれる新たな革命が起こることになりました。二月革命はヨーロッパ各地に影響を与え、 イギリス・オーストリア・プロイセン などでも革命や民族運動が起こることになりました。
第4回の授業では、フランスで起きた 二月革命 とその影響に注目することで、 ウィーン体制が崩壊へ向かっていく様子 を学習します。
以上、合計4回の授業を通して、ウィーン体制の成立と崩壊を一緒に勉強しましょう!
第25章「ウィーン体制の成立と崩壊」のガイダンス授業です。
この章では、計4回にわたって ウィーン体制の成立と崩壊 について勉強していきます。