高校世界史B

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5分でわかる!会議は踊る!されど進まず…

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この動画の要点まとめ

ポイント

会議は踊る!されど進まず・・・

高校世界史 ウィーン体制1 ポイント1 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ウィーン体制の1回目。
今回は、「絶対王政時代への復帰」について学習します。

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ポイントの1つ目は、「ウィーン会議」です。
1814年、ヨーロッパ各国の君主が集まり ウィーン会議 と呼ばれる会議を開きました。今回は、このウィーン会議が開かれた背景や、会議の内容について勉強します。

ウィーン会議の開催

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1814年~1815年、オーストリアの首都ウィーンで ウィーン会議 が開催されました。この会議の目的は フランス革命とナポレオンの対外進出によって混乱した、ヨーロッパ社会の秩序を再建すること でした。

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フランス革命 によってフランス絶対王政は崩壊し、 ナポレオンの対外進出 によってヨーロッパ各地は占領されました。各国の王にとって、フランス革命とナポレオンは悩みの種だったのです。しかし、1813年の ライプツィヒの戦い でプロイセンやロシアがナポレオンを破り、ナポレオンはエルバ島へ流刑されることになりました。

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ナポレオンの流刑を機に、ヨーロッパでは 各国の政治体制を、フランス革命が起こる前の状態(=絶対王政)に戻すべきだ という主張が強まったのです。こうした背景から、各国の君主が集まり ウィーン会議 が開催されました。

「ウィーン会議」見出し+テキスト3行/~勢力均衡を協議

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会議を主催したのは、オーストリア外相の メッテルニヒ という人物でした。ウィーン会議には、オスマン帝国を除く全ヨーロッパの君主が参加し、大国の 勢力均衡 を協議しました。ヨーロッパの国々の間で力関係のバランスを保ち、一部の国だけが領土を多く獲得したり、軍事力を増強したりすることがないように、話し合いが行われたのです。

フランス外相タレーラン、正統主義を主張

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この会議で、フランス外相 タレーラン は「 正統主義 」を唱えました。これは フランス革命の前の状態を「正統」とみなし 、各国の政治体制や王朝をその 「正統」な状態に戻すべきだ とする思想です。

image02続き/イラスト+テキスト2行/タレーラン~

「会議は踊る、されど進まず」

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ウィーン会議への参加国は、正統主義を理念に掲げて話し合いを行いましたが、領土問題をめぐる利害対立などが絡み、 話し合いはなかなか進展しませんでした。 そんな中、会議の主催国であるオーストリアは、参加国の親睦を深めて会議を円滑に進めようと 舞踏会や宴会を開いたのです。

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舞踏会は盛り上がる一方で、話し合いはぜんぜん進みませんでした。この状況を皮肉って、ウィーン会議の様子は 「会議は踊る、されど進まず」 という言葉で風刺されました。

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次のポイントでは、そんなウィーン会議が最終的にどんなかたちでまとまったのかを見ていきます。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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ウィーン体制の成立と崩壊

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