5分でわかる!ヨーロッパで起きたウィーン体制への反発
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「自由主義運動とナショナリズム」です。
前回の授業ではウィーン体制について勉強しました。ヨーロッパ各国は、フランス革命やその影響で様々な権利を獲得した市民をおさえつけ再び国王の権力を拡大させようとしました。つまり絶対王政の復活を目指したのです。
絶対王政の復活をねらうウィーン体制に対し、市民たちは各地で反対運動を行いました。その中で、ポイント1ではヨーロッパで起きた反対運動を紹介します。
自由主義運動の高まり
ウィーン体制への反発として、ヨーロッパでは絶対王政の束縛から逃れ、個人の自由を求める運動が起こりました。この運動を自由主義運動といいます。
ドイツではブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)、イタリアではカルボナリ(炭焼党)という組織が結成され、自由主義運動を展開しました。ただし、どちらの運動もオーストリア軍によって鎮圧され、失敗してしまいました。
スペインでは、憲法を制定して国王の力を制限しようとする動きが見られました。これをスペイン立憲革命といいます。また、ロシアでは皇帝の独裁政治に反対するデカブリストの乱が発生しました。ただし、スペイン立憲革命はフランス軍の干渉によって、デカブリストの乱はロシアの新皇帝ニコライ1世によって、それぞれ鎮圧されてしまいました。
ナショナリズム(国民主義)の高まり
自由主義運動に加えて、ウィーン体制の時代にはナショナリズム(国民主義)と呼ばれる運動が高まりました。ナショナリズムとは「国民」や「民族」といった仲間意識を重視し、他国や他民族による支配から独立を目指す運動のことです。
ナショナリズムの例として、1821年~1829年に起きたギリシア独立戦争が挙げられます。当時のギリシアはオスマン帝国、つまり**トルコ人に支配されていたのです。**ギリシアの人たちはオスマン帝国による支配を脱するため、ギリシア独立戦争を起こしました。
ギリシアはこの戦争に勝利し、独立を果たしました。1830年にはロンドン会議が開催され、ギリシアの独立は国際的にも承認されたのです。
以上、今回はヨーロッパで起きた、ウィーン体制に反発する動きについて勉強しました。個人の自由を求める自由主義運動と、国民や民族の独立を求めるナショナリズム(国民主義)、この2つの動きをしっかり覚えておきましょう。
ウィーン体制の2回目。
今回は、「ウィーン体制への反発」について学習します。