5分でわかる!ブルボン復古王政と七月革命
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「フランス七月革命の発生」です。
前回の授業はラテンアメリカが舞台でしたが、今度は フランス です。ウィーン体制の時代に、フランスでは 絶対王政が復活 し、それに反発する 革命 が起きることになりました。
絶対王政の復活/ブルボン復古王政の始まり
ナポレオンが失脚した後のフランスでは、1814年に ルイ18世 が即位し ブルボン朝 が復活しました。 フランス革命 が進展する中で、ブルボン朝は一時中断されましたが、1814年に復活したというわけです。
絶対王政が復活したことに対し、フランス国民は不満を持っていました。そしてその不満は、ルイ18世の次に即位した シャルル10世 のもとで爆発することになります。
シャルル10世、反動政治を強化
1824年には、ルイ18世の弟 シャルル10世 が即位しました。彼は人びとの自由や平等を抑圧し、絶対王政を強化しようとしました。絶対王政の時代を復活させようと 反動政治 を行ったのです。
ただし、絶対王政を強化すれば 国民の不満が高まる ことは目に見えています。そこでシャルル10世は、国民の不満を外にそらすため、1830年に アルジェリア出兵 を行いました。国外で侵略戦争を行うことで、国内の政治から人びとの注目をそらそうと考えたのです。
アルジェリア出兵と同じ年に、シャルル10世は 未招集議会の解散 や、選挙資格の大幅制限、言論・出版統制の強化など、絶対王政を復活させるための様々な政策を行いました。
人びとの不満が爆発!七月革命が発生する
アルジェリア出兵で国外に注目を集めたとはいえ、国民の目はごまかせません。シャルル10世が絶対王政を強化しようとしていることに反発したフランス国民は、ついにその不満を爆発させました。1830年、 七月革命 の発生です。
シャルル10世の反動政治に対し、学生や市民、労働者らが暴動を起こしました。シャルル10世はイギリスに亡命し、新国王に オルレアン家 出身の ルイ=フィリップ が即位しました。こうして、ナポレオン失脚後に復活したブルボン朝は、再び打倒されることになったのです。
ウィーン体制の3回目。
今回は、「ウィーン体制の動揺」について学習します。