5分で解ける!ウィーン体制の成立と崩壊(第3問)に関する問題
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この動画の問題と解説
問題
解説
問題(1)
②「オランダに割譲した」という記述が誤り。イギリスは オランダからセイロン島を割譲されています。
③確かに 正統主義 はウィーン会議の基本理念となりましたが、これを提唱したのは「 サン=マルティン 」ではなく「 タレーラン 」です。サン=マルティンは アルゼンチン など ラテンアメリカ諸国の独立を指導した人物 です。
④神聖ローマ帝国は 復活していません。 ウィーン会議の結果、かつて神聖ローマ帝国を構成していた オーストリ や プロイセン といった国々は、オーストリアを盟主として ドイツ連邦 を発足することになりました。
問題(2)
①イギリスの カニング はラテンアメリカ諸国の独立を支援しました。その理由は 自国の製品を売り込むためです。 イギリスは「製品市場」を獲得するために、ラテンアメリカ諸国の独立を支援しました。この選択肢は問題ありません。
②「干渉を支援した」という記述は 誤り です。アメリカの モンロー はヨーロッパとアメリカが互いに干渉しないことを宣言し、欧州諸国のラテンアメリカに対する干渉をけん制しました。これを モンロー宣言 といいます。この選択肢は誤りなので、正解は ② となります。
③ラテンアメリカの独立の中心は、 クリオーリョ とよばれる 白人地主 でした。この記述は問題ありません。クリオーリョの指導で独立を果たしたラテンアメリカ諸国は、独立後も白人たちの干渉を受け、現地の先住民たちは冷遇された生活を送ることになりました。
④ シモン=ボリバル はベネズエラやコロンビアを独立に導きました。これも問題ありません。 ベネズエラ・エクアドル・コロンビア・ボリビア が シモン=ボリバル によって、 アルゼンチン・チリ・ペルー が サン=マルティン によって、それぞれ独立を果たしています。
この章では ウィーン体制の成立と崩壊 について勉強しました。
フランス革命やナポレオンの影響で混乱したヨーロッパを立て直すために、君主たちはウィーン会議を開き、フランス革命前の状態、政治体制で言えば 絶対王政 の時代に戻そうと考えました。しかし、革命によって一度自由・平等を経験した市民にとっては、革命前の状態に戻ることは苦痛でしかありませんでした。
ウィーン会議の内容や、ウィーン体制を維持するための政治家や君主たちの動きと、ウィーン体制に反発するかたちでヨーロッパ各地で起きた自由主義運動の内容をしっかり復習しておきましょう。また、ヨーロッパで起きた自由主義運動はラテンアメリカ諸国にも影響を与えることになりましたね。
最終的には、フランスで 七月革命 と 二月革命 が起き、その影響が広がる中で ウィーン体制は崩壊していきました。 七月革命と二月革命、それぞれの革命がどのような影響を与えたのか、しっかり区別して覚えておきましょう。
ウィーン体制の成立と崩壊の問題
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①ウィーン会議の結果、オーストリアは ヴェネツィアやロンバルティアを獲得 し、北イタリアの支配に乗り出すことになりました。この選択肢は問題ありません。正解は ① です。