5分でわかる!自由な貿易を目指して!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイント2でも説明しましたが、産業革命の結果、イギリスでは工場経営者などの 産業資本家 が台頭しました。彼らは自分の工場で作った製品をすぐに輸出できるよう、制限のない 自由貿易 体制を望みました。彼らの要求もあって、イギリスは 自由貿易主義体制 を確立するようになるのです。
コブデンとブライトが反穀物法同盟を結成
1815年、イギリス議会は 穀物法 を制定しました。地主や農業資本家を保護するため、輸入穀物に高関税をかける保護貿易政策です。この法律に対し、産業資本家たちは不満を感じていました。
1839年、 コブデン と ブライト は 反穀物法同盟 を結成し、穀物法の廃止を強く訴えました。輸入穀物に高関税をかけると、地主や国内の農家は助かりますが、産業資本家にとっては困ります。なぜなら、穀物の値段が高くなると、自分が雇っている労働者の給料を上げなければならないからです。
ジャガイモ飢饉の発生!ついに穀物法が廃止される
19世紀半ばには、アイルランドで ジャガイモ飢饉 が発生しました。ジャガイモは寒くてやせた土地でも十分に育つため、アイルランドでは国民の主食として普及していたのですが、様々な要因からジャガイモが不作となり、大量の餓死者を出すことになってしまったのです。
この問題に対処するため、1846年、ついに 穀物法が廃止 されることになりました。
ついに自由貿易体制が完成!
1833年、 東インド会社の中国貿易独占権が廃止 されました。さらに、同社の商業活動そのものが全面的に禁止されました。貿易を独占してきた東インド会社の商業活動が停止したことで、民間の会社も貿易に参加できるようになったのです。
1849年には、1651年以降数度にわたって制定されていた 航海法 が廃止されました。この法律は、イギリスと外国との貿易においては、イギリス船かその相手国の船のみを使用することを定めた法律です。元は中継貿易を得意とするオランダ船を締め出すための法律でしたが、航海法が廃止されたことで各国の船は自由にイギリスに出入りできるようになりました。
穀物法の廃止、東インド会社の商業活動停止、そして航海法廃止。こうして、イギリスの自由貿易主義体制が整うことになりました。
ポイントの3つ目は、「自由貿易主義体制」です。
19世紀前半のイギリスで見られた 自由主義的改革 について、ここまで 宗教 と 政治 に注目してきました。ポイント3では 貿易 に注目します。