5分でわかる!自由党と保守党の内閣
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この動画の要点まとめ
ポイント
自由党のグラッドストン/労働者のための政治を行う
最初に紹介するのは、自由党の政治家であった グラッドストン という人物です。彼は1868年から1894年にかけて、4度首相に就任しています。ポイント1で説明したように、自由党は 産業資本家 や 労働者 を支持基盤としています。そのため、彼は労働者に好まれる政策を行いました。
1870年には 教育法 を制定し、 公立学校 の設立を実現しました。第2回選挙法改正で労働者にも選挙権が与えられましたが、立候補者の主張を見極め、政策を比較するためにはある程度の学力や知識が必要です。そこでグラッドストンは、労働者の子どもたちに、読み書きや計算、政治の仕組みを教えるための公立学校を設立しようと考えたのです。
1871年には 労働組合法 を制定し、労働組合の結成を法的に承認しました。労働者たちが団結する権利を保障したのです。
1884年には 第3回選挙法改正 を行い、 農村や鉱山労働者に選挙権 を与えました。第2回選挙法改正では 都市部 の労働者に選挙権が付与されましたが、第4回の改正によって地方の労働者にも選挙権が認められるようになったのです。
グラッドストンは晩年、 アイルランド自治法案 を成立させ、アイルランドに自治権を与えようと尽力しました。しかし、これは議会の反対にあって否決されてしまいました。
以上のように、グラッドストンは 労働者中心の国内政策を進めた という点をおさえましょう。
保守党のディズレーリ/強硬外交を展開
続いては、 保守党 の首相 ディズレーリ を紹介します。ポイント1で説明したように、保守党は 地主 や 貴族 を支持基盤とし、 強硬外交 を行う政党でした。
1875年には、エジプトの スエズ運河を支配 してインド航路を確保しました。そのインドでは、1877年にイギリスが支配する インド帝国 を建国しました。さらに、1878年には ベルリン会議 に参加し、イギリスの対外政策の障害となりそうな国をけん制しました。
以上のように、自由党のグラッドストンは 国内の改革が中心 、保守党のディズレーリは 対外政策が中心 だったことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は、「二大政党の内閣」です。
先ほど、ヴィクトリア時代に活躍した二大政党として 自由党 と 保守党 を紹介しましたね。ポイント2では、それぞれの政党が組織した内閣で、どのような政治が行われたのかに注目します。