5分でわかる!ドイツ統一の難しさとは?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「ドイツにおける宗教対立」です。
前回の授業では イタリア統一 について勉強しました。今回は ドイツ です。
ドイツでも統一運動が発生するのですが、統一にあたって「ある問題」を抱えていました。いったいどんな問題だったのでしょうか?
プロイセンと北ドイツは「プロテスタント」
現在「ドイツ」といえば1つの国を指します。しかし、かつては「ドイツ」と呼ばれる地域に 複数の国や地域が存在していました。 その中で、ドイツ統一の中心になったのは プロイセン王国 でした。こちらを見てください。
地図にあるように、プロイセン王国の領土は飛び地になっていました。そして、間に挟まれる地域には 小さな国がたくさん存在していました。 その地域をまとめて 北ドイツ と呼びます。
プロイセン王国と北ドイツの国々は、キリスト教の中でも プロテスタント の国でした。プロテスタントとは、カトリックに対する 宗教改革 の動きの中で登場した宗派です。
西南ドイツは「カトリック」
それに対し、 西南ドイツ 地域では カトリック が中心でした。宗派の違いから、西南ドイツと北ドイツ・プロイセン王国は仲が悪かったのです。
そこで、西南ドイツは オーストリア によるドイツ統一を望みました。オーストリアは当時 カトリック の国だったのです。プロイセンにとって、ドイツ統一にはオーストリアとの戦いは避けて通れません。
さらに、西南ドイツの西隣にある フランス もカトリック国家です。もしプロイセンがオーストリアと戦争を始めれば、フランスは同じカトリック国家であるオーストリアを支援し、フランスとも戦うはめになるかもしれません。
次のポイントでは、プロイセン王国が中心となってドイツ統一を進めていきます。ただ、統一への道のりには キリスト教の宗派問題 が大きく立ちはだかることになりました。
プロイセンと北ドイツはプロテスタント、西南ドイツやフランス・オーストリアはカトリック。この違いをしっかり覚えておきましょう。
19世紀の欧米諸国(1)、第5回。
今回は、「ドイツの統一」について学習します。