高校世界史B

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5分でわかる!ドイツ統一の難しさとは?

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この動画の要点まとめ

ポイント

ドイツ統一の難しさとは?

高校世界史 19世紀欧米諸国(1)5 ポイント1 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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19世紀の欧米諸国(1)、第5回。
今回は、「ドイツの統一」について学習します。

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ポイントの1つ目は、「ドイツにおける宗教対立」です。
前回の授業では イタリア統一 について勉強しました。今回は ドイツ です。

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ドイツでも統一運動が発生するのですが、統一にあたって「ある問題」を抱えていました。いったいどんな問題だったのでしょうか?

プロイセンと北ドイツは「プロテスタント」

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現在「ドイツ」といえば1つの国を指します。しかし、かつては「ドイツ」と呼ばれる地域に 複数の国や地域が存在していました。 その中で、ドイツ統一の中心になったのは プロイセン王国 でした。こちらを見てください。

ポイント1の地図のみ

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地図にあるように、プロイセン王国の領土は飛び地になっていました。そして、間に挟まれる地域には 小さな国がたくさん存在していました。 その地域をまとめて 北ドイツ と呼びます。

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プロイセン王国と北ドイツの国々は、キリスト教の中でも プロテスタント の国でした。プロテスタントとは、カトリックに対する 宗教改革 の動きの中で登場した宗派です。

西南ドイツは「カトリック」

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それに対し、 西南ドイツ 地域では カトリック が中心でした。宗派の違いから、西南ドイツと北ドイツ・プロイセン王国は仲が悪かったのです。

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そこで、西南ドイツは オーストリア によるドイツ統一を望みました。オーストリアは当時 カトリック の国だったのです。プロイセンにとって、ドイツ統一にはオーストリアとの戦いは避けて通れません。

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さらに、西南ドイツの西隣にある フランス もカトリック国家です。もしプロイセンがオーストリアと戦争を始めれば、フランスは同じカトリック国家であるオーストリアを支援し、フランスとも戦うはめになるかもしれません。

高校世界史 19世紀欧米諸国(1)5 ポイント1 答え全部

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次のポイントでは、プロイセン王国が中心となってドイツ統一を進めていきます。ただ、統一への道のりには キリスト教の宗派問題 が大きく立ちはだかることになりました。

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プロイセンと北ドイツはプロテスタント、西南ドイツやフランス・オーストリアはカトリック。この違いをしっかり覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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      19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独

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