5分で解ける!ビスマルク体制に関する問題
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この動画の問題と解説
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解説
当時のヨーロッパは一触即発!?
ポイント1では、当時のヨーロッパにおける 3つの対立 を紹介しました。
1つ目は ロシアとオーストリアの対立 です。両国は バルカン半島 進出をねらって対立していました。
2つ目は イタリアとオーストリアの対立 です。イタリア人が多く住んでいるにも関わらず、オーストリアが領土としている「 未回収のイタリア 」をめぐる対立でした。
3つ目は ドイツとフランスの対立 です。普仏戦争以降、2国間の関係は悪化していました。ビスマルクはこれら3つの対立関係を利用して、同盟関係を構築していくことになります。
目指すはフランスの孤立!
ポイント2では、フランスの孤立を目指すビスマルクの外交に注目しました。
まず、ビスマルクは オーストリア・ロシア間 の対立の調停を買って出ました。こうして生まれたのが 三帝同盟 です。ビスマルクは ドイツ・オーストリア・ロシア 間の友好関係を築こうとしました。
次にビスマルクは オーストリア・イタリア間 の対立の調停を買って出ました。ここで生まれたのが 三国同盟 です。 ドイツ・オーストリア・イタリア 間の友好関係を築こうとしました。
三帝同盟は、途中でロシアが離脱したことで一度効力を失ったものの、その後 新三帝同盟 として復活しました。ビスマルクは三国同盟と新三帝同盟を持ってドイツの安全を確保しようとしましたが、1887年に 新三帝同盟は崩壊してしまいました。
新三帝同盟が崩壊したことで、ドイツとロシアの同盟関係は崩れてしまいました。もしロシアがフランスと手を結ぶようなことがあれば、ドイツは2国に挟み撃ちにされてしまいます。そこで、ビスマルクはロシアと 再保障条約 を締結しました。
再保障条約とは、ドイツ・ロシアのいずれかが戦争に突入した際に お互い中立を守る という 秘密条約 でした。こうしてドイツはロシアとの関係をつなぎとめたのです。
ビスマルク体制の中で、 イギリス とドイツの同盟は結ばれませんでした。ただ、19世紀後半のイギリスは「 光栄ある孤立 」状態だったため、イギリスがフランスと手を結ぶのは考えにくい状態でした。
こうしてビスマルクはフランスを孤立化させることに成功しました。これが「ビスマルク体制」なのです。
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今回はビスマルク体制についての学習でした。
それでは、内容を確認していきましょう。