5分でわかる!ロシアがこだわった南下政策とは?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「南下政策の動機」です。
今回の舞台は 19世紀のロシア です。当時のロシアは「 南下政策 」と呼ばれる政策を掲げていました。
南下政策とはいったい何か、そしてその目的は何か。これらに注目して勉強していきましょう。
麦を輸出して、産業革命の資金を集めよう!
18世紀後半にイギリスで始まった 産業革命 は、19世紀以降世界各地に広がっていきました。ロシアもその流れにのり、イギリスに対抗して産業革命を起こそうと考えていました。
産業革命を迎えるためには 工場や機械を導入するための資金が必要です。 しかし、当時のロシアはお金に余裕がありませんでした。そこでロシアは作物(特に 麦 )を育て、それを輸出することで産業革命の資金に充てようと考えたのです。
2017年現在、ロシアの面積は世界一です。19世紀頃の領土は現在とは異なりますが、それでも広大な領土であったことは変わりありません。広大な領土をいかせば 安価な麦を大量生産することができます。 ロシアには 麦の輸出で利益を得る勝算があったのです。
凍らない港を求め、南下政策を開始!
ここで1つ問題がありました。ロシアの麦の収穫時期は 秋 です。ところが、国全体が高緯度に位置するロシアでは 秋ごろから港が凍りつき、船が出せなくなってしまうのです。
そこでロシアは 「凍らない港」を確保しようと、温暖な南方地域への進出を計画しました。 これこそが「 南下政策 」なのです。
南下政策の口実
ロシアにとって、南下政策を進めるのに好都合なのは バルカン半島を通るルート でした。当時のバルカン半島には、ギリシア正教会を信仰する ギリシア正教徒 が多く暮らしていたからです。
ギリシア正教会はキリスト教の一派で、 ビザンツ帝国 による保護を受けて発展しました。そして、15世紀にビザンツ帝国が滅びた後は ロシアがその保護者になっていたのです。 ギリシア正教徒の保護という名目を掲げれば、ロシアがバルカン半島に侵入する「口実」になります。
さらに、バルカン半島には スラヴ人 が多く住んでいました。スラブ人国家であるロシアは、スラヴ系民族の統一を目指す パン=スラヴ主義 という考え方を掲げて、バルカン半島に進出していきました。
ロシアは「ギリシア正教徒の保護」「パン=スラヴ主義」の2つを口実に、凍らない港を求めてバルカン半島方面に進出しようと考えました。次のポイントでは、ロシアが南下政策を本格化させる動きを学習します。
19世紀の欧米諸国(2)、第1回。
今回は、「ロシアの南下政策」について学習します。