5分で解ける!ロシアの近代化とバルカン進出に関する問題
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この動画の問題と解説
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解説
クリミア戦争がその後のロシアを変えた!?
ポイント1では、ロシアが南下を目指して行った クリミア戦争 と、クリミア戦争後のロシアに見られた変化について学習しました。
オスマン帝国が聖地管理権をフランスに譲渡したことに対し、ロシアはオスマン帝国領内の ギリシア正教徒の保護 を理由に宣戦布告しました。ギリシア正教会は ビザンツ帝国 のもとで繁栄したキリスト教の一派で、15世紀にビザンツ帝国が滅亡した後はロシアがその保護者となっていました。
こうしてロシアはオスマン帝国とクリミア戦争を戦いましたが、結局は敗北してしまいました。この敗北を受けて、当時のロシアの皇帝 アレクサンドル2世 は、ロシアの後進性と近代化改革の必要性を痛感することとなりました。
彼は手始めに 農奴解放令 を発布し、農奴に人格的な自由を与えました。ただし、農民たちは無償で土地を得られたわけではなく、領主から買い戻す必要がありました。
領主から土地を買えるほどの大金を持たない農民たちは、共同で土地を購入し、生活していくことにしました。これを ミール(農村共同体) といいます。
近代化改革を進めたアレクサンドル2世でしたが、 ポーランド反乱 の影響もあり、次第に 皇帝独裁政治を強めていくようになりました。
アレクサンドル2世が専制政治を強化する一方、都市の知識人たちは独自の平等社会を実現しようと活動を行い、 ナロードニキ と呼ばれました。彼らは「 ヴ=ナロード (人民の中へ)」を掲げて農村へ進出し、人びとの生活に入り込んで改革の必要性を訴えました。
ナロードニキの活動は農民の支持を得られず、さらに政府による弾圧も行われたため、ナロードニキの一部は次第に 暴力的な手段に訴えるようになりました。 暴力によって主義主張を通そうとすることを テロリズム(暴力主義) と呼びます。テロリズムが横行したロシアでは、なんと 皇帝アレクサンドル2世が暗殺されてしまいました。
バルカン半島ヘ方向を転換!
ポイント2では、南下政策をあきらめないロシアが バルカン半島 へねらいを定めたお話をしました。
ロシアは パン=スラヴ主義 を掲げ、ロシアと同じ スラヴ人 を守るという名目でオスマン帝国に宣戦布告しました。こうして始まったロシア=トルコ戦争で、ロシアは見事オスマン帝国を破り、 サン=ステファノ条約 を締結しました。
ロシアはこのサン=ステファノ条約をもって南下政策を完成させようとしましたが、イギリスやオーストリアなどヨーロッパ列強が反発して ベルリン会議 が開かれました。サン=ステファノ条約は大幅に修正され、新たに ベルリン条約 が結ばれました。
この条約をもって ルーマニア 、 セルビア 、 モンテネグロ の独立が認められ、 ブルガリアの領土は縮小 しました。結果的に、ロシアの南下政策はヨーロッパ列強によって阻止されることになったのです。
19世紀の欧米諸国(2) 露・米 の練習
高校世界史Bの問題
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今回はロシアの近代化とバルカン進出についての学習でした。
それでは、内容を確認していきましょう。