5分でわかる!アメリカの北部と南部ではここまで違うの!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「北部と南部の違い」です。
前回の授業では アメリカ合衆国が西部開拓を進め、領土を拡張していく様子 を学習しました。ただ、そんなアメリカは決して一枚岩ではありませんでした。
実は、19世紀のアメリカは 北部と南部とで全く異なる社会が形成されていたのです。 その違いはやがて、両者の間に深刻な対立を引き起こすことになりました。その「対立」については後の授業で勉強するとして、ポイント1ではまず 北部と南部の「違い」 について勉強します。
北部と南部の違いを以下の表にまとめました。まずは 南部 の特徴から紹介していきます。
南部は奴隷を用いた綿花プランテーションで繁栄!
アメリカ南部の経済は 綿花プランテーション によって支えられていました。プランテーションとは 大規模農園 のことです。大農園で綿花を大量に栽培し イギリスに輸出することで利益を上げていました。
対外輸出が経済を支えているわけですから、南部は 自由貿易体制を支持しました。 また、大規模農園では 奴隷 を労働力として用いていたので、もちろん 奴隷制に賛成の立場を取っていました。
南部は、政治体制としては 州権主義(地方分権) 、つまり 中央政府の権力をできるだけ弱くし、各州が独立して政治を進められる体制 を支持しました。政府の権力が増大し、貿易体制の変化や奴隷制の廃止などを強制されることを嫌ったのです。
そして、このような南部の考え方を政治に反映させようとしたのが 民主党 という政党でした。
続いては 北部 の特徴を紹介します。
北部は資本主義的商工業が発達!
北部の経済は 資本主義的商工業 によって支えられていました。南部は農業でしたが、北部は商工業が中心だったというわけです。
アメリカ=イギリス戦争以降、北部では商工業が発達しました。しかし、その発達は イギリスなどの先進工業国と比べればまだまだ未熟でした。 それゆえ北部は国内産業を育成するために 保護貿易 を主張したのです。輸入品に高い関税をかけ、国内の製品が売れなくなるのを防ごうとしたわけですね。
また、商工業がさかんな北部は 奴隷制に反対の立場を取っていました。 農園で働かされている南部の奴隷が解放されれば、労働者として工場で働いてもらえるからです。
保護貿易や奴隷制の廃止を実現するには強力な政府が必要です。そこで北部は 連邦主義(中央集権) 、つまり政府が強い権力を持って国内を管理する体制を支持しました。
そして、北部のこうした考え方を政治に反映させようとしたのが 共和党 という政党でした。
以上、北部と南部の違いを説明しました。丸暗記するのではなく、それぞれの主張の 理由 をふまえて理解すると覚えやすいですよ。しっかり復習しておきましょう。
19世紀の欧米諸国(2)、第4回。
今回は、「アメリカが抱えた問題」について学習します。