5分でわかる!アメリカの市民が殺しあう!?南北戦争の勃発!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「南北戦争」です。
前回の授業では北部と南部の奴隷制をめぐる対立を紹介しました。この対立はどんどん深まり、ついには国内戦争にまで発展することになりました。
奴隷制をめぐり北部と南部が起こした戦争を南北戦争といいます。まずは、この南北戦争が始まった背景から説明します。
戦争のきっかけ/奴隷制に反対する大統領が就任!
1861年、アメリカ大統領にリンカンが就任しました。彼は奴隷制廃止を訴える共和党に所属していました。ちなみに政党の名前は間違えやすいので、注意して覚えておきましょう。彼は共和党の所属でした。
就任にあたり、リンカンは奴隷制の廃止を宣言しました。この宣言に対し、奴隷制に賛成する南部は猛反発したのです。この反発が戦争のきっかけになりました。
南部が合衆国からの独立を宣言
リンカン大統領に反発する南部諸州は、リッチモンドに首都をかまえアメリカ連合国を建国しました。つまり合衆国からの離脱を宣言したわけです。アメリカ連合国は反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易といった南部に都合の良い政策を掲げました。
両者の対立は決定的となり、1861年にアメリカ連合国がアメリカ合衆国に攻撃を仕掛けたことで南北戦争が始まりました。
リンカンの政策/ホームステッド法と奴隷解放宣言
南北戦争の序盤は南軍(アメリカ連合国)が優勢でした。そこで、劣勢に立たされた合衆国の大統領リンカンは北部の味方を増やす作戦に出ました。
1862年、リンカンはホームステッド法(自営農地法)を制定しました。公有地で5年間定住・開墾をすれば一定限度の土地を無償で与えるという法律です。この法律で、リンカンは西部の開拓農民から絶大な支持を集めることに成功しました。
さらにリンカンは、戦争中の1863年に奴隷解放宣言を発表しました。自分は奴隷を解放するために戦っているのだと、戦争の目的を明確化して国内外に宣言したのです。
奴隷解放宣言によって、国内の奴隷たちはもちろんリンカンを支持しました。加えて、すでに奴隷制を廃止しているイギリスやフランスといった国々も立場上合衆国を応援することになったのです。こうして「味方」を増やした北軍(合衆国)は徐々に戦況をひっくり返していきました。
米史上最大の激戦/南北戦争の終結
1863年、北軍はゲティスバーグの戦いで南軍に勝利します。この戦いは南北戦争における最大の戦闘といわれ、両軍ともに多数の死傷者を出しました。
この戦いが行われたゲティスバーグの地では、戦争後にリンカン大統領が演説を行いました。その演説で彼が述べた「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉は現在でも広く知られています。
1865年には、アメリカ連合国の首都リッチモンドが陥落し、戦争は北軍(アメリカ合衆国)の勝利となりました。ちなみに、見事合衆国を勝利に導いたリンカン大統領は戦争後に暗殺されてしまいました。
南北戦争の流れ、しっかり復習しておきましょう。
19世紀の欧米諸国(2)、第5回。
今回は、「南北戦争とその後のアメリカ」について学習します。