5分でわかる!中国の植民地化が開始!アヘン戦争
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この動画の要点まとめ
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アヘン戦争の開始
再三にわたる自由貿易交渉に失敗したイギリスは考えました。「話し合いでは駄目だ、武力で自由貿易を認めさせるしかない」と。そこでイギリスは、戦争を仕掛ける「口実」を探していました。
そんな中、中国の役人である 林則徐 (りんそくじょ)がアヘンを厳しく取り締まるようになりました。彼は広州でアヘンを没収・廃棄処分にしたうえ、 中国人密貿易者を処罰 し、さらに イギリス商館区の封鎖 を行いました。
イギリスはこれを待っていました。「大英帝国の自由貿易を阻害する中国へ制裁を加える」という口実を掲げ、ついに中国へ戦争を仕掛けたのです。これを アヘン戦争 といいます。
南京条約の締結
アヘン戦争は イギリスと中国との圧倒的な実力差 を見せ付ける結果となりました。例えば海上での戦いにおいて、イギリスは 軍艦 、対する中国は 木造船 を使用したのです。戦争はイギリスの圧勝に終わり、中国は講和条約である 南京条約 を突きつけられる形となりました。
南京条約で中国は、これまで貿易港として開港していた 広州 に加え、 厦門 (あもい)、 福州 (ふくしゅう)、 寧波 (にんぽー)、 上海 (しゃんはい)の合計5港を開港することになりました。こちらを見てください。
左側の地図には5港の位置が示されています。 中国の南側に集中していますね。
南京条約で中国は、5港の開港に加えて、貿易を独占していた 公行を廃止 し、イギリスに貿易拠点として 香港を割譲 、さらに 賠償金の支払い を命じられることになったのです。この「賠償金支払い」が後々の中国に大きな負担となってのしかかるので、頭の片隅に入れておいてください。
アヘン戦争後の状況
アヘン戦争終結後も中国はイギリスからの圧力に苦しみました。南京条約締結の翌年には 治外法権 を承認させられたのです。これで中国でイギリス人が罪を犯しても、中国の法律では裁けなくなってしまいました。
加えて中国は 関税自主権を失いました。 イギリスからの輸入品に関税をかける権利を失ったのです。このように、中国は不平等条約の典型ともいえる内容をイギリスに押し付けられました。
また、イギリスが中国の港を開いたことで多くの外国人が訪れるようになりました。そこで、外国人が暮らす場所として 租界 (そかい)が設置されました。イギリスが 上海 に設置したのが最初の租界となりました。
イギリス人たちはこの租界で生活し、租界は完全にイギリスの法律で守られていました。中国の中にイギリスの領土ができたような状態だったのです。
イギリスと不平等条約を結ばされた中国は、同様の条約をアメリカやフランスとも結ばされることになりました。アメリカとは 望厦条約 (ぼうかじょうやく)、フランスとは 黄埔条約 (こうほじょうやく)を締結し、両国に治外法権を認め、また関税自主権を失うことになりました。
このように、アヘン戦争を通じて中国の植民地化が進んでいくことになりました。しっかり復習しておきましょう。
ポイントの2つ目は、「アヘン戦争」です。
中国の植民地化がいよいよ始まります。 アヘン戦争 について勉強していきましょう。