5分でわかる!朝鮮国内の動乱と日清戦争
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この動画の要点まとめ
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朝鮮末期の新思想|西学と東学
日本の朝鮮進出が本格化する中、当時の朝鮮では 新しい思想 が登場しました。これまで「鎖国」状態だった朝鮮が開国したことで、ヨーロッパの キリスト教 など他国の宗教や思想が流入し、朝鮮独自の考え方と結びついて新たな思想が生まれたのです。
新思想の1つが、キリスト教を中心とする宗教・思想である 西学 です。「神のもとにすべての人間は平等である」と説くキリスト教は、朝鮮の人たちにとっては新鮮でした。
西学に対して、朝鮮在来の民間信仰に根付いた 東学 も登場しました。従来の朝鮮の民間信仰に、アジア由来の儒教・仏教・道教などを融合した宗教です。東学の創始者を 崔済愚 (さいせいぐ)といいます。
甲午農民戦争
キリスト教中心の 西学 に対抗する 東学 は、アジア以外の思想や宗教を嫌う 排他的な性格 を持っていました。東学の信者たちはこの「排他性」を強く持ち、次第に 朝鮮から国外勢力を追い出そうと考えるようになりました。
こうして1894年に 甲午農民戦争 が発生しました。指導者は東学の幹部であった 全琫準 (ぜんほうじゅん)という人物でした。
農民軍の勢いにおされた朝鮮の閔氏政権は 清 に助けを求めました。これを受けて清が出兵すると、なんと 日本 も朝鮮にいる日本人保護を掲げて出兵を行ったのです。
日清戦争と下関条約
こうして1894年、甲午農民戦争と同じ年に 日清戦争 が始まることになりました。つまり日清戦争とは 甲午農民戦争をきっかけに日本と清が全面対決へと発展した戦争 なのです。
この戦争は 日本 の勝利に終わり、敗れた清との間で 下関条約 が結ばれました。この条約で、清は 朝鮮が独立国であることを承認することになりました。 いくら「兄貴分」のような存在だといっても、これまでのように朝鮮に干渉することはできなくなったのです。
さらに日本は、中国から 台湾 ・ 澎湖諸島 (ほうこしょとう)・ 遼東半島 を獲得しました。加えて 開港場での企業の設立 を認められるなど、下関条約は完全に日本に有利な内容だったのです。
列強の三国干渉/日本は遼東半島を返還!
朝鮮や中国への進出を強めた日本。そんな日本を警戒して、ヨーロッパの列強 ロシア・ドイツ・フランスの3国 がクレームをつけてきました。これを 三国干渉 といいます。
三国干渉の中心となったのは ロシア でした。ロシアは日本が 遼東半島 を獲得したことに猛反発し、遼東半島を中国に返還するよう迫りました。ロシアの主張にドイツやフランスも同調したことで、ヨーロッパの列強3国が日本にプレッシャーをかけることになったのです。結局日本は 遼東半島を返還することとなりました。
日本を退けた強国ロシアに対し、今度は朝鮮の閔妃が接近を試みようとしました。朝鮮から日本を追い出すためロシアの力を借りようとしたわけですね。その動きを察知した日本は、なんと 閔妃を殺害してしまいました。
この後日本は朝鮮をめぐって ロシアとの対立を深めていくことになります。
ポイントの2つ目は、「朝鮮末期の新思想と日清戦争」です。
朝鮮末期に登場した 新しい思想 と、日本と清との直接対決である 日清戦争 について勉強します。