5分でわかる!ナポレオン3世のインドシナ進出!

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この動画の要点まとめ
ポイント

ポイントの1つ目は「ナポレオン3世のインドシナ進出」です。
東南アジアの中でも、現在の ベトナム・カンボジア・ラオス といった地域を インドシナ と呼びます。このインドシナに フランスが進出する様子 を学習していきます。
19世紀のベトナムで栄えた「阮朝」

最初に注目するのは ベトナム です。19世紀のベトナムには 阮朝 (げんちょう)という王朝が成立していました。阮朝の建国者は 阮福暎 (げんふくえい)という人物です。

1802年、阮福暎はフランス人宣教師ピニョーの支援を受けてベトナムを統一し、阮朝を建国しました。阮朝は、これまでのベトナム王朝と同じく 清の朝貢国 となり、清からは越南国(えつなんこく)と呼ばれるようになりました。朝貢関係に入ったことで、阮朝は中国の「弟分」のような存在になったのです。

ここで一度、ベトナムの位置を地図で確認しましょう。こちらを見てください。

今皆さんに紹介しているベトナムに加え、カンボジアとラオスの位置が示されています。カンボジア・ラオスはベトナムの隣に位置していますね。これらの地域をインドシナと呼ぶのです。
フランスがベトナムに侵攻!仏越戦争

19世紀半ばには フランス がベトナムに侵攻してきました。この「19世紀半ば」というタイミングには理由があります。あの アロー戦争 です。

1856年に始まったアロー戦争において、フランスはイギリスと連合して中国に侵略しました。そして、ベトナムは中国のすぐ南側に位置しています。そう、フランスは ベトナムを中国侵略の拠点にしようと考えたのです。

こうして1858年に 仏越戦争 が始まりました。 ナポレオン3世 率いるフランスは圧勝し、ベトナム南部の都市サイゴンを獲得するなどベトナムへの進出を強めました。

さらにフランスは、ベトナムのすぐ隣に位置する カンボジアを保護国化したのです。

こうしてフランスはインドシナ進出を開始しました。次のポイントではインドシナ進出が本格化する様子を学習します。

アジア諸地域の植民地化、第1回。
今回は「フランスのインドシナ進出」について学習します。