高校世界史B
5分でわかる!フランス領インドシナ連邦の成立!
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この動画の要点まとめ
ポイント
フランス領インドシナ連邦の成立!
これでわかる!
ポイントの解説授業
ベトナムの保護国化
1883年と1884年、フランスはベトナムと ユエ条約 を締結しました。この条約でフランスはベトナムを 保護国 としたのです。ちなみに保護国とは、形式上は独立していますが、外交権や財政など国の主権を他国に譲った状態の国を指します。
フランスによるベトナムの保護国化に対し、ある国がフランスに抗議しました。そう、ベトナムの「兄貴分」にあたる 清 です。ポイント1で説明したように、ベトナムは 清の朝貢国 でした。清にとってベトナムは「弟分」のような存在だったのです。この関係は、日本が朝鮮に進出したときにも登場しましたね。
清はベトナムの 宗主権 (支配下の国に行使できる権利)を主張してフランスに抗議しました。こうして1884年に 清仏戦争 が始まったのです。
清仏戦争はフランスの勝利に終わりました。講和条約として 天津条約 が結ばれ、敗れた清は ベトナムの宗主権を放棄させられてしまったのです。
こうしてフランスはベトナムを完全に保護国化することになりました。
フランス領インドシナ連邦の成立
1887年、ベトナムやカンボジアを合わせて フランス領インドシナ連邦 が成立しました。「連邦」と名前がついていますが、要するにフランスの 植民地 です。
1889年には ラオス が編入され、フランス領インドシナ連邦はさらに広大になりました。こちらを見てください。
フランス領インドシナは 中国のすぐ南方に位置しています。 こうしてフランスは中国進出の拠点を確保することに成功したのです。
以上、フランスのインドシナ進出について学習しました。ベトナム・カンボジア・ラオスの位置を地図で確認しながら、この授業で学んだ内容を復習しておきましょう。
ポイントの2つ目は「フランス領インドシナ連邦の成立」です。
ポイント1に引き続き、フランスがインドシナへの進出を本格化させていく様子を学習します。