高校世界史B
5分で解ける!フランスのインドシナ進出に関する問題
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練習の解説授業
ナポレオン3世のインドシナ進出!
ポイント1では、東南アジアの中でもベトナム・カンボジア・ラオスといった インドシナ 地域に フランス が進出してくる様子を学習しました。フランスがインドシナに進出する目的は 中国進出の拠点とするため でしたね。
19世紀のベトナムでは 阮朝 という王朝が成立していました。この王朝の建国者を 阮福暎 といいます。阮朝を建国した阮福暎は、従来のベトナム王朝と同じく 清の朝貢国 となりました。阮朝は中国の「弟分」のような存在になったのです。
19世紀半ばには、ナポレオン3世率いるフランスがベトナムをねらって戦争を仕掛けてきました。それが 仏越戦争 でしたね。仏越戦争に勝利したフランスはベトナムから サイゴン を獲得しました。
さらにフランスはベトナムのお隣 カンボジア を保護国化し、インドシナへの進出を強めていきました。
フランス領インドシナ連邦の成立!
ナポレオン3世が亡くなった後も、フランスはインドシナ地域への関心を持ち続けていました。1883年・1884年には ユエ条約 を締結し ベトナムを保護国化しました。
これに抗議したのがベトナムの「兄貴分」にあたる 清 でした。清はベトナムの 宗主権 を主張してフランスと対立し、1884年に 清仏戦争 が始まりました。
清仏戦争はフランスの勝利に終わり、講和条約である 天津条約 が結ばれました。敗れた清が 宗主権を放棄 したことで、フランスはベトナムを完全に保護国としたのです。
フランスはベトナムやカンボジアを合わせて、自国の植民地である フランス領インドシナ連邦 を形成しました。1889年には ラオス を編入し、フランス領インドシナ連邦はさらに広大になりました。
こうしてフランスはインドシナ支配を完成させたのです。
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今回はフランスのインドシナ進出について学習しました。
内容を確認していきましょう。