5分でわかる!イギリスが東南アジアを植民地化するわけは?
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この動画の要点まとめ
ポイント
イギリスが東南アジアを植民地化する理由とは?
まずはポイント1で紹介した地図を使って、イギリスが東南アジアで進出した場所を確認します。こちらを見てください。
地図中に丸で囲ってあるのは マレー半島 です。イギリスは東南アジアの中でもマレー半島、そして地図の左上あたりに位置する ミャンマー(ビルマ) に進出しました。
イギリスはいったい、どうしてこれらの場所に植民地を建設したのでしょうか?実は、その理由は 中国とインドの接続 にありました。こちらを見てください。
1858年、イギリスはインドに インド帝国 と呼ばれる植民地を建設しました。イギリスにとってインドは重要な植民地でした。
1840年に始まった アヘン戦争 以降、イギリスは中国への進出を強めていきました。イギリスにとって中国も重要な植民地でした。
そこでイギリスは、インドと中国とを接続するために 東南アジアを通る海上ルートを確保しようと考えたのです。
東南アジアの中でも マレー半島 や ミャンマー が、この海上ルートの途中で立ち寄るのに適した中継地点だったため、イギリスはマレー半島とミャンマーに進出したのです。
マレー半島への進出
イギリスはマレー半島の ペナン・シンガポール・マラッカ を獲得すると、これらの地域を合わせて1826年に 海峡植民地 と呼ばれる植民地を成立させました。
さらにイギリスは1895年、海峡植民地に領土を付け加える形で マレー連合州 を成立させました。ちなみにマレー連合州は 現在のマレーシアの母体となっています。
マレー連合州では 錫(すず)の開発 や ゴムのプランテーション が盛んに行われ、錫開発においては中国出身の移民である 華僑(かきょう) が、ゴムプランテーションにおいてはインド出身の移民である 印僑(いんきょう) が労働力となりました。
イギリスが東南アジアを植民地化したのは 中国とインドを結ぶため でしたね。だからこそ、中継地点である東南アジアには両国からの移民も多くやってきたのです。
ミャンマーへの進出
マレー半島から見て北西部に位置し、インドのすぐ隣にある ミャンマー へも、イギリスは進出しました。
イギリスは1824年から3度にわけて行われた ビルマ(ミャンマー)戦争 で、当時ミャンマーにあった コンバウン朝 という王朝を滅ぼすと、ミャンマーをインド帝国に併合しました。
以上、イギリスの東南アジア進出について学習しました。イギリスは闇雲に進出したわけではなく インドと中国を結ぶ海上ルートの中継地点を確保する という目的を持っていたのです。これをしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「イギリスの東南アジア進出」です。
イギリスが「ある考え」に基づいて東南アジアに進出する様子を学習します。