5分でわかる!東インド会社のインド植民地化の動き!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「イギリス東インド会社の進出」です。
ヨーロッパの国々がアジアと貿易を行うために作った会社を 東インド会社 といいます。イギリスが作った会社が イギリス東インド会社 です。
イギリス東インド会社はもともと 香辛料貿易 が主な業務でしたが、次第に 植民地経営 も任されるようになっていきます。今回は、そんなイギリス東インド会社が インドの植民地化を強めていく動き を学習します。
イギリス東インド会社のインド進出
18世紀半ば、海外植民地の建設をねらうイギリスとフランスはインドをめぐって争っていました。そうしたなかで、イギリスは1757年の プラッシーの戦い でフランスを破り、インドにおける優位を確立しました。
イギリスのインド進出を担ったイギリス東インド会社は、1765年にインド東部の ベンガル 地域などの 徴税権 を獲得しました。
ベンガル地域といえば、インド有数の 肥沃な土地 を持ち、農作物がたくさん取れて人もたくさん暮らしている場所です。そんな「おいしい」場所の徴税権を獲得した東インド会社は、順調にインド支配を強めていくのかと思われました。
ところが1833年、自由主義的改革を進めていたイギリス本国で イギリス東インド会社の商業活動停止 が定められました。イギリス本国では、貿易を独占する東インド会社に対する批判が強まっていたのです。
こうして貿易から締め出された東インド会社は インド統治機関へと移行していくことになりました。 インド統治に専念し、会社を存続させるために税金を集めようと考えたのです。
イギリス東インド会社は 3つの戦争 を通じてインド支配を強化しました。1767年に始まった マイソール戦争 、1775年に始まった マラーター戦争 、1799年に始まった シク戦争 の3つです。
3つの戦争でイギリスは、それぞれマイソール王国、マラーター同盟、シク王国を破りました。こちらを見てください。
イギリス東インド会社はマイソール王国を破ると、インドの豪族たちが団結したマラーター同盟を破り、さらにシク教徒の国家であるシク王国を撃破しました。こうして19世紀半ばまでに、東インド会社はインドのほぼ全域を制圧することに成功したのです。
植民地から税金を徴収!
インド全域を制圧した東インド会社は ザミンダーリー制 や ライヤットワーリー制 などの方法で植民地から税金を徴収しました。
ザミンダーリー制 は旧来の地主・領主から直接地税を徴収する方法です。 ライヤットワーリー制 は農民から直接地税を徴収する方法です。結局は農民から税金を集めているのですが、地主や領主といった「仲介者」がいるかどうかがこの2つの徴税方法の違いです。
これらの税制度は東インド会社の財政を潤す一方で、インドの人たちを苦しめました。中には土地を捨てて逃げ出す農民もいるほどでした。
また、当時のインドでは茶や アヘン などを栽培する プランテーション 経営が行われました。イギリス本国にいる経営者がインドで茶やアヘンを栽培させ、それを輸出することで利益を得ていたのです。
以上、イギリス東インド会社のインド進出について学習しました。
イギリスは東インド会社を中心にインドの植民地化を進めましたが、その政策は現地の人たちの反発を招くことになりました。ポイント2では イギリス支配に対抗するインドの反乱 について学習します。
アジア諸地域の植民地化、第3回。
今回は「イギリス東インド会社のインド経営」について学習します。