5分でわかる!エジプトでの自立の動き!
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この動画の要点まとめ
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ムハンマド=アリー、エジプト総督の地位を獲得
エジプトで自立の動きが見られるきっかけとなったのは、1798年~1799年の ナポレオンによるエジプト占領 でした。エジプトを占領したナポレオンは、エジプト先住民(アラブ人)に対してオスマン帝国(トルコ人)に対する反抗を呼びかけたのです。
ナポレオンによって民族意識を刺激されたエジプト先住民は、次第に独立運動を展開するようになりました。その中心となったのは ムハンマド=アリー という人物でした。彼はナポレオンのエジプト遠征に抵抗したことを評価され、オスマン帝国から 総督 の地位を授かりました。
2度にわたるエジプト=トルコ戦争
エジプトの自立を目指すムハンマド=アリーは、オスマン帝国に対し シリアの領有を要求しました。 オスマン帝国がこれを拒否したことから、1831年に 第1次エジプト=トルコ戦争 が勃発しました。
この戦争はエジプトの勝利に終わり、ムハンマド=アリーの要求どおりシリアを領有することに成功しました。しかし彼は満足しません。今度はオスマン帝国に対し エジプトとシリアの世襲権を要求したのです。 世襲とは地位や財産を子や孫が受け継いでいくことをいいます。
オスマン帝国はこれを拒否し、1839年に 第2次エジプト=トルコ戦争 が勃発しました。この戦争ではエジプトの勢力拡大を警戒したヨーロッパ諸国の介入もあって、エジプトは完全勝利とはいきませんでした。
結局エジプトはオスマン帝国に対し シリアを返還 することになりました。ただし、その見返りに エジプトとスーダンの世襲 をオスマン帝国から認められました。
スエズ運河会社の株式買収/イギリスがエジプトへの影響力を強める
ムハンマド=アリーが1849年に亡くなった後、エジプトである重要な出来事が起こりました。フランス人技師 レセップス によって スエズ運河が開通したのです。
スエズ運河を通れば、ヨーロッパの地中海からインド洋に出ることができます。インドを植民地化していた イギリス にとっては非常に魅力的な運河です。
そこでイギリスは1875年、 ディズレーリ内閣 のときにスエズ運河会社の株を買収し、スエズ運河の支配権を獲得しました。
ウラービーの反乱/イギリスはエジプトを保護国化
エジプトはこれまでオスマン帝国に支配されていました。ムハンマド=アリーの時代に自立を強めたかと思いきや、今度はスエズ運河会社の株を買収するなど イギリスが介入を強めてきました。
これを受けてエジプトでは、1881年~1882年に ウラービーの反乱 が発生しました。エジプトの軍人ウラービーが「 エジプト人のためのエジプト 」をスローガンに掲げて武装蜂起したのです。
しかしこの反乱はイギリス軍に鎮圧されてしまい、最終的にエジプトはイギリスの 保護国 とされました。
以上、エジプトにおける自立を求める動きを紹介しました。ムハンマド=アリーの活躍でオスマン帝国からの自立を強めたかと思いきや、今度はイギリスが介入し、最終的にエジプトはイギリスの保護国となったのです。
今回学んだ内容をしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「エジプトでの自立の動き」です。
アラビア半島と同じくオスマン帝国の支配下にあった エジプト で見られた自立の動きに注目します。