高校世界史B
5分で解ける!オスマン帝国の衰退に関する問題
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練習の解説授業
アラビア半島での自立の動き!
オスマン帝国支配下のアラビア半島では ワッハーブ派 と呼ばれるイスラーム復興運動が見られました。預言者ムハンマドの時代の教えに原点回帰することを訴える運動です。
ワッハーブ派はアラビア半島の豪族 サウード家 と結びつき、18世紀半ばに ワッハーブ王国 が成立しました。ただしワッハーブ王国は1818年にムハンマド=アリーの攻撃で滅亡してしまったので、アラビア半島の完全な自立が達成されたわけではありませんでした。
エジプトでの自立の動き!
アラビア半島と同じくオスマン帝国の支配下にあった エジプト でも、自立を求める動きが見られるようになりました。その中心となったのはエジプト総督 ムハンマド=アリー でした。
彼は第1次エジプト=トルコ戦争で シリア を獲得しましたが、第2次エジプト=トルコ戦争ではエジプトの勢力拡大を警戒するヨーロッパ諸国の介入もあり、最終的にシリアを返還することになりました。ただし、その代償として エジプトとスーダンの世襲権を獲得することになりました。
ムハンマド=アリーの死後、エジプトではフランス人技師 レセップス の尽力によって スエズ運河が開通しました。 スエズ運河を通れば地中海からインド洋まで出られるため、インド植民地化を進めていたイギリスはディズレーリ内閣のときにスエズ運河会社の株を買収しました。
エジプトへの介入を強めるイギリスに対し、エジプトの軍人 ウラービー が立ち上がりました。彼は「エジプト人のためのエジプト」というスローガンを掲げて抵抗運動を展開しましたが、最終的にイギリス軍によって鎮圧されてしまいました。
ウラービーの反乱を鎮圧したイギリスは、エジプトを保護国化し、その支配を強めていくことになったのです。
高校世界史Bの問題
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今回はオスマン帝国の衰退について学習しました。
内容を確認していきましょう。