5分でわかる!ついに目覚めたオスマン帝国!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「タンジマート(恩恵改革)」です。
19世紀半ばのオスマン帝国で見られた 近代化改革 について学習します。
オスマン帝国の焦り
前回の授業では、オスマン帝国の支配下にあった アラビア半島 と エジプト で見られた 自立を求める動き について学習しました。
領内で反乱が多発したことで、オスマン帝国は焦りました。このままだと帝国は衰退し、滅びてしまうかもしれません。そこでオスマン帝国では 近代化に向けた取り組みが見られるようになりました。
アブデュル=メジト1世による「タンジマート(恩恵改革)」
1839年に皇帝となった アブデュル=メジト1世 は、オスマン帝国の近代化を目指して タンジマート(恩恵改革) と呼ばれる改革を行いました。司法・行政・財政・軍事・文化など多くの分野にわたる改革です。
タンジマートは西欧化を目指す「 上からの改革 」でした。つまり 皇帝主導で進められた改革 ということです。
ちなみに、タンジマートの中では 非イスラーム教徒への平等な課税 が目指されました。これは税金だけに限らず、 宗教を問わない法的な平等 を認める動きへと発展していきました。
クリミア戦争
タンジマートの成果は、1853年に始まった クリミア戦争 に表れました。 南下政策 を進めるロシアがオスマン帝国に宣戦布告すると、ロシアを警戒するイギリス・フランスやサルデーニャはオスマン帝国側につきました。
クリミア戦争は オスマン帝国の勝利 に終わりました。イギリスなどの支援があったとはいえ、大国ロシアを破ったのです。この勝利から、アブデュル=メジト1世によるタンジマートには一定の成果があったと見ることができます。
しかし1つだけ大きな問題がありました。オスマン帝国はクリミア戦争に際して イギリス・フランスから多くの借金をしたのです。 ロシアには勝利したものの、オスマン帝国はイギリス・フランスに対して 経済的な従属状態となってしまいました。
オスマン帝国で行われた近代化改革、タンジマート。西欧化を目指す「上からの改革」は一定の成果をあげたものの、クリミア戦争での借金が原因となって、オスマン帝国は英・仏に対して経済的に従属することになりました。
アジア諸地域の植民地化、第5回。
今回は「オスマン帝国の近代化」について学習します。