5分でわかる!アジア初の憲法が制定されるも・・・
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この動画の要点まとめ
ポイント
憲法制定にいたるまでの流れ、そして憲法が発布された後のオスマン帝国の動きについて学習します。
宰相ミドハト=パシャ、ミドハト憲法を制定
ポイント1では タンジマート(恩恵改革) を進めた皇帝 アブデュル=メジト1世 を紹介しました。彼が亡くなってしばらくすると、オスマン帝国では アブデュル=ハミト2世 が皇帝に即位しました。
このアブデュル=ハミト2世の時代には、宰相 ミドハト=パシャ が大活躍しました。
タンジマートは一定の成果をあげましたが、クリミア戦争でオスマン帝国は英・仏に借金を背負ってしまいました。そこでミドハト=パシャは「国家にとって重要なことは、皇帝1人で決めるのではなく みんなで話し合って決めるべきだ 」と考えたのです。
ミドハト=パシャは憲法に基づく政治(立憲政治)の実現を目指して改革を進め、1876年には彼が起草した ミドハト憲法 が発布されました。ミドハト憲法は アジア初の憲法 として知られています。アジア初の憲法は 大日本帝国憲法 ではなく、オスマン帝国で誕生した ミドハト憲法 なのです。
ミドハト憲法が停止され、ミドハト=パシャは解任される…
ミドハト憲法では 二院制議会 の設立や責任内閣制などが規定されていました。非常に近代的な内容だったのです。こうしてオスマン帝国は近代化を達成するかと思われました。
しかし、です。皇帝アブデュル=ハミト2世は、1877年に ロシア=トルコ戦争 が始まったことを口実に ミドハト憲法を停止してしまいました。 さらにこの戦争の最中、ミドハト=パシャは 宰相を解任されてしまったのです。
専制政治を望むアブデュル=ハミト2世は、ミドハト憲法によって皇帝の権力が制限されることを快く思っていませんでした。そこでロシア=トルコ戦争を口実に憲法を停止し、立憲政治を求めるミドハト=パシャを解任したのです。
宰相ミドハト=パシャはアジア初の憲法であるミドハト憲法を制定しましたが、ロシア=トルコ戦争の勃発を口実にアブデュル=ハミト2世が憲法を停止し、ミドハト=パシャは解任されてしまいました。
ミドハト=パシャの改革のねらいとその結果を、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ミドハト=パシャの改革」です。
近代化改革が進んだオスマン帝国では、なんと アジア初の憲法 が制定されることになりました。