高校世界史B
5分で解ける!オスマン帝国の近代化に関する問題
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練習の解説授業
ついに目覚めたオスマン帝国!
支配下のアラビア半島やエジプトで自立を求める動きが見られたことで、オスマン帝国は焦りました。このままではオスマン帝国は滅亡してしまうかもしれません。こうした焦りからついに 近代化改革 が始まりました。
1839年に即位し改革に着手したのが アブデュル=メジト1世 でした。彼が行った一連の改革のことを タンジマート(恩恵改革) といいます。タンジマートは西欧化を目指す「上からの改革」、つまり皇帝主導で行われた近代化改革でした。
タンジマートの成果が表れたのか、オスマン帝国は1853年に始まった クリミア戦争 でロシアに勝利しました。ただし、戦争に際してイギリス・フランスから多額の借金をしてしまったため、オスマン帝国は財政的にイギリス・フランスに屈服することになりました。
アジア初の憲法が制定されるも…
アブデュル=ハミト2世の時代には宰相 ミドハト=パシャ が ミドハト憲法 を制定しました。ちなみにミドハト憲法は アジア初の憲法 でした。
ミドハト=パシャは、ミドハト憲法を制定することで 立憲君主制 に移行しようとしました。「国にとって重要なことは、皇帝が勝手に決めるのではなくみんなで話し合って決めるべきだ」と考えたのです。ミドハト憲法では 二院制議会 の開設や責任内閣制などが規定されました。
ミドハト憲法が発布された翌年に ロシア=トルコ戦争 が勃発すると、アブデュル=ハミト2世はこれを口実に ミドハト憲法を停止 し、宰相 ミドハト=パシャ を解任しました。
アブデュル=ハミト2世は専制政治を望んでおり、ミドハト憲法によって皇帝の権力が制限されることを快く思っていなかったのです。
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今回はオスマン帝国の近代化について学習しました。
内容を確認していきましょう。