5分でわかる!混乱がつづくフランスの第三共和制
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「フランスの第三共和政」です。
帝国主義時代のフランスで見られた 国内の混乱 について学習します。
第三共和政が始まるまでの流れ
1848年、フランスでは 二月革命 が発生し国王ルイ=フィリップが国外へ逃亡しました。国王不在となったフランスでは 第二共和政 と呼ばれる政治体制がスタートしました。
第二共和政のもとでは 男性普通選挙 が実施されましたが、国内はまとまるどころか混乱状態に陥ってしまいました。立場の違う資本家・労働者・農民の意見はまとまらず、そもそも共和政に反対する勢力もいたからです。
この混乱をしずめたのは、ナポレオン1世の甥にあたる ルイ=ナポレオン でした。彼は国民からの支持を集めて ナポレオン3世 として即位し、フランス 第二帝政 をスタートさせました。
ナポレオン3世は1870年に始まった 普仏戦争 で捕虜となり、第二帝政は終了しました。第二帝政が終了したあと、フランスで始まったのが 第三共和政 と呼ばれる政治体制でした。
ブーランジェ事件
以上、第三共和政が始まるまでの流れを説明しました。このあといよいよ第三共和政下のフランスについて学習していきます。その際みなさんに意識していただきたいのは、第三共和政のフランスは 混乱状態だった ということです。
第二共和政のもとで混乱状態だったフランスは、第二帝政が終わって再び共和政が始まると、またもや混乱状態に陥ることになりました。その混乱の様子を示す 2つの事件 をこれから紹介します。
1つ目が ブーランジェ事件 です。こちらを見てください。
陸軍大臣 ブーランジェ がクーデタを起こし、政権を倒して独裁政治を行う…といううわさが流れたものの、結局彼はクーデタを起こしませんでした。この一連の騒動をブーランジェ事件といいます。
ドレフュス事件
2つ目が ドレフュス事件 です。こちらを見てください。
ユダヤ系の将校 ドレフュス は、ドイツのスパイ容疑で逮捕された上に終身刑を宣告されてしまいました。しかし、このあと 真犯人の存在が浮上してドレフュスは無実だったことが判明したのです。 いわゆる「えん罪」というやつですね。
真犯人の存在を知ったフランス政府や軍部は、なんとこの事件を隠ぺいしようとしました。その姿勢に対しフランス国内では抗議の声があがり、 ドレフュス擁護派 が登場しました。
代表的な人物がフランスの作家 ゾラ です。彼は政府や軍部の態度を批判し、「私は弾劾する」と題する記事を新聞に掲載してドレフュスを擁護しました。
シオニズムの高まり
ゾラのようにドレフュスを擁護した人がいた一方で、ドレフュスたち ユダヤ人 を嫌う人もフランスにはいました。ドレフュス事件をめぐりフランスの世論は分かれてしまったのです。
ユダヤ人に対する差別意識に衝撃を受け、ユダヤ人たちは シオニズム と呼ばれる ユダヤ人国家設立を目指す運動 を強めていきました。ユダヤ人の祖国パレスチナに戻って、自分たちの国家を建設しようと考えたのです。
最終的にドレフュスは無罪となって釈放されました。しかし、ドレフュス事件をめぐってフランス国内は大騒ぎになったのです。さきほど紹介したブーランジェ事件とあわせ、フランス第三共和政の「もろさ」を露呈した事件だったともいえます。
ブーランジェ事件とドレフュス事件、しっかり覚えておきましょう。
帝国主義の時代、第2回。
今回は「フランスの動向」について学習します。