5分でわかる!ビスマルクの辞職!?ドイツの取った「新航路」
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ドイツの帝国主義政策」です。
これからみなさんに 帝国主義時代のドイツ についてお話をします。
19世紀末、ドイツである衝撃的な出来事が起こりました。 ビスマルクの辞職 です。プロイセンの「鉄血宰相」として知られ、1871年にドイツ統一を成し遂げたあのビスマルクが、なんと ドイツ帝国の首相を辞職することになってしまいました。
いったい何があったのでしょうか?
皇帝ヴィルヘルム2世と意見が対立!
1871年にドイツ帝国が誕生したとき、初代皇帝に ヴィルヘルム1世 が即位し、以来 ビスマルク は首相として彼を支えていました。
ヴィルヘルム1世の死後、フリードリヒという皇帝が即位したのですが、病気のため100日程度で亡くなってしまいました。その後ドイツ皇帝に即位したのが ヴィルヘルム2世 でした。
1888年に即位したヴィルヘルム2世は ある法律 の更新をめぐってビスマルクと対立しました。その法律とは、かつてビスマルクが制定した 社会主義者鎮圧法 です。
また、社会主義者鎮圧法をめぐる対立に加え、対外政策についての意見衝突もありました。
ヴィルヘルム2世は「ドイツも植民地を求めて海外に進出するべきだ!」と主張しました。当時、他のヨーロッパ列強も植民地政策を推進していましたからね。
一方、これまで巧みな外交を展開してヨーロッパ列強の対立のバランスをとってきたビスマルクは 植民地政策に慎重な立場でした。
両者の溝は埋まらず、最終的に1890年、皇帝ヴィルヘルム2世は首相ビスマルクを罷免(ひめん)することになったのです。これがビスマルク辞職の経緯でした。
海軍の大拡張/イギリスにプレッシャーをかける!
ビスマルクを罷免したヴィルヘルム2世は、これまでのドイツとは違った外交路線をとることになりました。例えば 海軍の大拡張 です。
彼はとある演説の中で「 ドイツの将来は海上にあり 」と宣言しました。植民地拡大のためには 強力な海軍 が必要であると考え、当時世界最強の海軍力を誇っていた イギリス に対抗して大規模艦隊への拡張を宣言したのです。
この宣言を警戒したイギリスも自国艦隊の増強を急ぐようになり、ドイツとイギリスとの間には緊張が走るようになりました。
パン=ゲルマン主義/全ドイツ系民族の結集を訴える!
ヴィルヘルム2世は領土拡大にあたり パン=ゲルマン主義 の考え方を利用しました。これは全ドイツ系民族の連体と結集を呼び起こし、ドイツ帝国の世界制覇を実現しようとする主張です。
ドイツ3B政策/中東方面への進出をねらう!
植民地拡大をねらうヴィルヘルム2世は、 ベルリン・ビザンティウム・バグダード の3つの都市を接続して中東方面に進出しようと考えました。これを 3B政策 といいます。
ベルリンはドイツ帝国の首都で、ビザンティウムは現在 イスタンブル と呼ばれています。バグダードは現在のイラクの首都です。これら3つの都市の頭文字をつなげて3B政策といいます。
さらにヴィルヘルム2世は バグダード鉄道 を敷設(ふせつ)し、小アジアからペルシア湾の近くまでを接続しようと考えました。
ビスマルクがヴィルヘルム2世に反対した理由の1つが、上記の地図から読み取れます。そう、3B政策を進めれば 海上でイギリスと衝突する可能性が高いのです。
また、3B政策のルートでは バルカン半島 を通過することになりますが、当時このバルカン半島については ロシア が進出をねらっていました。
このように、ヴィルヘルム2世が推進した政策は 列強との対立に発展する危険性を秘めていたのです。 しっかり覚えておきましょう。
帝国主義の時代、第3回。
今回は「ドイツの動向」について学習します。