5分でわかる!ドイツの労働運動!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ビスマルクによる社会主義の弾圧
1875年、ドイツ帝国では 世界最初の社会主義政党 である ドイツ社会主義労働者党 が誕生しました。しかし、社会主義の拡大を警戒した ビスマルク は1878年に 社会主義者鎮圧法 を制定し、社会主義的な政党や労働組合の活動を禁止しました。
社会主義は、簡単に言うと 労働者や失業者の救済を目指す考え方 です。1871年にドイツ統一を達成したばかりのビスマルクにとって、社会主義の台頭で帝国内の資本家と労働者との対立が深まることは避けたかったのです。
そのためビスマルクは 災害保険・疾病保険といった社会保険制度 など、国家が労働者や国民の生活を保護する政策( 社会政策 )を進めました。
ドイツ社会民主党の誕生
ただ、ビスマルクの努力にもかかわらず社会主義の動きはとどまることを知りませんでした。活動が禁止されたとはいえ、社会主義勢力は拡大のチャンスをうかがっていたのです。
その契機となったのが、ポイント1で説明した ビスマルクの辞職 です。皇帝ヴィルヘルム2世と対立したビスマルクが1890年に辞職すると、同年に ドイツ社会民主党 と呼ばれる社会主義政党が誕生しました。先ほど紹介した ドイツ社会主義労働者党 が改称して成立した政党です。
ドイツ社会民主党は当初、マルクス主義理論に基づく 暴力革命 を提唱していました。ただ、次第に党員の ベルンシュタイン らが主張する 修正主義 と呼ばれる考え方が台頭するようになりました。
ベルンシュタインは、暴力ではなく 議会を通じての社会主義化 を唱えました。この考え方は イギリスの社会主義運動 に影響を受けています。当時イギリスでも 議会を通じての社会改良 を目指そうとする考え方が広まっていたのです。
以上、ドイツの労働運動について紹介しました。
当初はビスマルクによって社会主義が弾圧されていましたが、彼の辞職に伴いドイツ社会民主党が成立しました。
ドイツ社会民主党は、当初は暴力による社会革命を主張していましたが、次第にベルンシュタインらの修正主義が台頭してきたのです。
この動きをしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ドイツの労働運動」です。
帝国主義時代のドイツで見られた 労働運動 について学習します。