5分でわかる!カリブ海政策の推進!
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この動画の要点まとめ
ポイント
マッキンリー大統領/アメリカ=スペイン戦争に勝利
これから2人の大統領を紹介します。1人目は1897年に就任した マッキンリー大統領 です。
マッキンリーはアメリカにほど近い カリブ海 への進出を企み、中南米に影響力を持っていたスペインに戦争を仕掛けました。これを アメリカ=スペイン戦争 といいます。
戦争のきっかけとなったのは、当時スペインに支配されていた キューバの独立運動 、そして メイン号事件 でした。
1898年2月、キューバの ハバナ湾 に停泊中のアメリカの軍艦 メイン号 が突如爆沈するという事件が発生しました。原因は明らかではなかったのですが、アメリカ国内の世論はスペインの仕業だとする見方が強まりました。ちなみにこの事件は アメリカの自作自演だったのでは という意見も存在します。
アメリカはキューバの独立支援とメイン号爆沈事件の報復を口実にスペインに戦争を仕掛けました。これがアメリカ=スペイン戦争です。
勝利したアメリカは フィリピン、グアム、プエルトリコ といったスペインの植民地を獲得し、さらに キューバの保護国化 を取り決めました。
さらにマッキンリーは ハワイ を併合し、カリブ海だけではなく太平洋への進出も試みました。
1899年と1900年には、国務長官ジョン=ヘイの名前で 門戸開放宣言 を発表しました。門戸開放・機会均等・領土保全の3つの原則からなる宣言です。
アメリカはスペインから手に入れた フィリピン を足がかりに中国へ進出しようと考えていたのですが、すでに中国はヨーロッパ列強による植民地化が進んでいました。
そこでアメリカは門戸開放宣言を発表し、他国にプレッシャーをかけようとしたのです。
セオドア=ローズヴェルト大統領/棍棒外交を展開
マッキンリーの次に大統領に就任したのは セオドア=ローズヴェルト です。彼はカリブ海政策を強引に推進し、その外交姿勢は「 棍棒外交 」と呼ばれました。
穏やかな口調で交渉に臨んでいるように見えても、背後にアメリカの圧倒的な軍事力をちらつかせ、強引に要求を押し通そうとする外交姿勢をあらわした言葉です。
「棍棒外交」の典型的な例として、パナマをコロンビアから分離・独立させ パナマ運河を建設した ことがあげられます。
アメリカがパナマ運河を建設したのは、カリブ海からパナマ運河を通って太平洋に出るルートを確保するためでした。カリブ海と太平洋を接続しようと考えたのです。
以上のように、マッキンリーとセオドア=ローズヴェルトの2人の時代にカリブ海政策が推進されました。アメリカはカリブ海での影響力を強めたばかりではなく 太平洋方面への進出もねらった ことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は「カリブ海政策の推進」です。
20世紀初頭のアメリカは、ポイント1で紹介した カリブ海政策 を掲げて海外に進出していきました。詳しく見ていきましょう。