5分でわかる!金やダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争!
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この動画の要点まとめ
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ケープ植民地首相にセシル=ローズが就任
南アフリカ進出にあたり、イギリスは ケープ植民地 をその起点としました。
復習になりますが、フランスの ナポレオン によって混乱したヨーロッパの国際秩序を回復させるため、1814~1815年に ウィーン会議 と呼ばれる国際会議が開かれました。
イギリスはこの会議の結果、南アフリカのケープ植民地を領有することになりました。ケープ植民地はもともと、17世紀にオランダが建設した植民地でしたが、ウィーン会議の結果イギリス領となることが承認されたのです。
ちなみにイギリス人の入植が始まると、ケープ植民地で暮らしていたオランダ人( ブール人 )は圧迫され、北方へ移住していくことになりました。
1890年、 セシル=ローズ という人物がケープ植民地首相に就任しました。彼はもともとダイヤモンドなどを扱う会社の経営者でした。
南アフリカ戦争の勃発
セシル=ローズは南アフリカの地下資源を採掘していく中で、イギリス本国にある報告をしました。 金やダイヤモンドが大量に産出する場所を見つけた という報告です。
その場所とは、ケープ植民地のすぐ北側に位置する トランスヴァール共和国 と オレンジ自由国 でした。両国は ブール人 が建国した国です。ブール人は現地の黒人ではなく、かつてケープ植民地で暮らしていた オランダ人 です。
金やダイヤモンドを手に入れたいイギリスは、ブール人に戦争を仕掛けました。1899~1902年に行われたこの戦争を 南アフリカ戦争 といいます。
南アフリカ戦争にあたっては、イギリス本国の植民相 ジョゼフ=チェンバレン が直々に指揮をとりました。ブール人も必死の抵抗を見せたものの、最終的にトランスヴァール・オレンジ両国は イギリスに併合されてしまいました。
南アフリカ連邦の成立/人種差別の発生
1910年には、トランスヴァール・オレンジ両国やケープ植民地が合わさって 南アフリカ連邦 が成立し、イギリスの 自治領 となりました。
ちなみに南アフリカ連邦では、本来の住人である黒人に対し、ブール人をはじめとする白人優位の 人種差別 が見られるようになりました。
ポイントの2つ目は「アフリカ南部への進出」です。
イギリスが 南アフリカ を侵略していく様子を学習します。