高校世界史B
5分でわかる!ドイツ・イタリアのアフリカ進出!

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この動画の要点まとめ
ポイント
ドイツ・イタリアのアフリカ進出!
これでわかる!
ポイントの解説授業

ポイントの1つ目は「ドイツ・イタリアのアフリカ進出」です。
イギリス・フランスに遅れて始まった ドイツ・イタリアのアフリカ進出 について学習します。
ドイツのアフリカ進出

まずは ドイツ のアフリカ進出です。こちらを見てください。

ドイツは1884年に カメルーン を領有し、1886年には 東アフリカ植民地 を領有しました。左側の地図に示されているように、前者はアフリカ大陸の西側、後者はアフリカ大陸の東側に位置していますね。
イタリアのアフリカ進出

続いては イタリア のアフリカ進出です。こちらを見てください。

1895~1896年、イタリアは エチオピア への侵入を試みましたが失敗してしまいました。そこでイタリアは1911~1912年、 イタリア=トルコ戦争 をおこして北アフリカのオスマン帝国領を獲得しようとしました。

勝利したイタリアは狙い通り、オスマン帝国からトリポリ・キレナイカ(現在の リビア にあたる地域)を獲得することに成功しました。

さらにイタリアはアフリカ北東部の ソマリランド を獲得しました。ただしソマリランドはイタリアが単独で支配したわけではなく、北から順にイギリス・フランス・イタリア領に分割されました。

ちなみにソマリランドは、アフリカの中で角のように尖った場所に位置することから「 アフリカの角 」と呼ばれています。

以上、ドイツとイタリアのアフリカ進出でした。前回学習したイギリス・フランスも含め、アフリカにはヨーロッパ諸国が押し寄せ、各地を次々に支配していったのです。

ただし、アフリカの中には第一次世界大戦が始まるまで 独立を維持した国 が2つありました。次のポイントではその2国に注目します。

世界分割と列強の対立、第4回。
今回は「その他西欧諸国のアフリカ進出」について学習します。