5分でわかる!第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
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この動画の要点まとめ
ポイント
まずはヴィルヘルム2世が登場する前の国際関係を確認し、次に彼が登場した後の国際関係を確認します。
ヴィルヘルム2世が登場する前の国際関係
ヴィルヘルム2世が登場する前は、ドイツの首相 ビスマルク によって以下のような国際関係が築かれていました。
ドイツ・オーストリア・イタリアは 三国同盟 を結成していました。さらにドイツはロシアと 再保障条約 という秘密条約を結び、どちらかの国が戦争状態になっても互いに中立を守ることを約束しました。
イギリスはどの国とも同盟を結ばない「 光栄ある孤立 」状態だったので、ドイツは対立関係にあった フランス を孤立化させることに成功しました。
ヴィルヘルム2世が登場した後の国際関係
1888年にドイツ皇帝に即位したヴィルヘルム2世は、 パン=ゲルマン主義 を掲げてバルカン半島への進出をうかがい ロシアと対立しました。 すると彼は、なんと 再保障条約の更新を拒否 したのです。
それを見たドイツのライバル フランス はロシアへ接近し、19世紀末に 露仏同盟 を結成しました。この同盟でロシアへフランス資本が導入されることになりました。簡単に言うとフランスがロシアにお金を貸したということです。
ドイツの帝国主義政策は イギリス にもプレッシャーをかけました。イギリスはかつて世界最大の工業国として君臨していましたが、アメリカやドイツに抜かれ、いつまでも「光栄ある孤立」を保っている余裕がなくなったのです。
イギリスは東アジアにおけるロシアの進出に対抗するため、1902年に 日英同盟 を結びました。これでイギリスの「光栄ある孤立」状態は解消されたのです。
それを見たフランスはイギリスへ接近し、1904年に 英仏協商 を結成しました。
日露戦争後の1907年には、ドイツのバルカン半島進出を警戒するロシアとイギリスとの間で 英露協商 が結成されました。
ヴィルヘルム2世が進めたドイツの帝国主義政策により、列強の対立関係に大きな変化が見られました。最終的には イギリス・フランス・ロシア の3国が手を結ぶことになったのです。この協力関係のことを 三国協商 といいます。
イギリス・フランス・ロシアの三国協商は、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と対立しました。この国際対立はやがて 第一次世界大戦 へと発展することになります。
ポイントの2つ目は「三国協商の成立」です。
ポイント1で確認した ドイツの帝国主義政策 を前提に成立した 列強間の対立関係 について勉強します。