5分でわかる!日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「中国分割」です。
19世紀末期ごろの中国に対し、ヨーロッパ列強が支配を強めていく様子を学習します。
ヨーロッパ列強が中国分割を進める…
1894~1895年、日本と中国(清)は 日清戦争 を戦いました。この戦いに勝利したのは 日本 でした。
敗れた中国は 多額の賠償金 を支払うことになり、そのお金を調達するために列強から 借款(しゃっかん) を行いました。外国政府から借金することを「借款」といいます。
その際中国は担保として 鉄道敷設権 や 鉱山採掘権 を奪われてしまいました。加えて中国の領土は 租借(そしゃく) という形で列強に奪われてしまったのです。
国務長官ジョン=ヘイの門戸解放宣言
こうして中国はヨーロッパの侵略を受けていきましたが、この流れに乗り遅れた国がありました。それが アメリカ です。
アメリカは同時期に アメリカ=スペイン戦争 を戦っていたため、中国進出に出遅れてしまったのです。
ヨーロッパ諸国が次々に中国分割を進める様子を見て焦ったアメリカは、国務長官 ジョン=ヘイ の名前で 門戸開放宣言 を発表しました。
門戸開放・機会均等・領土保全を原則とする門戸開放宣言は、ヨーロッパ諸国をけん制し、アメリカも中国やアジアへ進出することを暗に示したメッセージでした。
各国の租借地や勢力圏をおさえよう!
ただ、アメリカが門戸開放宣言を発表した頃には、中国分割はかなり進展していました。こちらを見てください。
まずは 租借地 を確認します。ある国が他国の領土を借りることを 租借 と言います。
ドイツは 膠州湾(こうしゅうわん) 、ロシアは 遼東半島南部 の 旅順・大連 地区、イギリスは 威海衛(いかいえい)・九竜半島 、フランスは 広州湾 (←ドイツの膠州湾とは漢字が違うので注意!)を租借しました。
ロシアが租借地とした遼東半島南部の旅順・大連地区は、 日露戦争後に日本の租借地となりました。
租借地とは別に、ヨーロッパの国々が強い影響力を持っていた場所を 勢力圏 といいます。各国の勢力圏では鉱山開発や鉄道敷設、企業の設立などが行われました。どの国がどこを勢力圏にしたのかは、表を見て確認するようにしてください。
さらにロシアは東清鉄道、日本は南満州鉄道の鉄道敷設権を獲得しました。
このように、中国はヨーロッパ列強や日本によって支配されていきました。これを 中国分割 といいます。
表を見て、各国の租借地や勢力圏を確認しておきましょう。
帝国主義と東アジア、第1回。
今回は「中国分割と近代化運動の行方」について学習します。