5分でわかる!外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動!
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「義和団事件」です。
前回の授業では 中国分割 について学習しましたね。列強による支配が強まると、中国では 外国勢力を排除しようとする動き が起こりました。詳しく見ていきましょう。
義和団事件の発生
19世紀半ばに起こった アヘン戦争 以降、中国の植民地化はどんどん進んでいきました。そんな中、19世紀後半に 反キリスト教 を掲げる 仇教運動 (きゅうきょううんどう)が中国各地で発生しました。
この運動は、キリスト教の教えそのものというよりも、キリスト教を布教する 外国人宣教師 や、 外国勢力そのもの に対する反発という側面が強い運動でした。宣教師が殺害されたり、教会が焼き討ちされたりすることもあったのです。
そして、この運動の中心勢力となったのが 義和団 という宗教結社でした。義和団は「 扶清滅洋(ふしんめつよう) 」というスローガンを掲げたのですが、これは「 清を扶(たす)けて、外国(洋)を滅ぼす 」という意味です。
「扶清滅洋」を掲げる義和団はドイツ人宣教師殺害事件を起こし、これに反発したドイツは山東省一帯に進出しました。このような、義和団が中心となって起こした一連の反キリスト教運動・排外運動のことを 義和団事件 といいます。
8カ国共同出兵と北京議定書
中国政府(清朝)は、義和団事件を利用して外国勢力を排除しようと考えました。1900年6月に義和団が北京を占領し、日本やドイツの外交官を殺害すると、清は 義和団を支持して欧米や日本に宣戦布告したのです。
すると大変なことに、イギリス・フランス・アメリカ・日本といった国々が共同で軍隊を送ってきたのです。これを 8カ国共同出兵 といいます。8カ国の連合軍は義和団を鎮圧し、北京を占領しました。
宣戦布告をしたものの敗れた清は、列強との間に 北京議定書 を締結することになりました。清は巨額の賠償金支払いを課せられたほか、外国軍隊の 北京駐兵権 を認めることになりました。
北京議定書により、中国は 半植民地化 されてしまったのです。
以上、中国で発生した 義和団事件 と、それを鎮圧した 8カ国共同出兵 、そして講和条約である 北京議定書 について説明しました。
次のポイントでは、義和団事件の後に中国で発生した新たなトラブルについて学習します。
帝国主義と東アジア、第2回。
今回は「中国をめぐる日本とロシアの対立」について学習します。