5分でわかる!日本とロシアの狙った場所が同じ!?
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ロシアの満州占領/日本の朝鮮進出
1900年に発生した義和団事件は、日本やロシアなどの 8カ国共同出兵 によって鎮圧されました。しかし、このときロシアは義和団鎮圧以外の動きをとりました。
ロシアは義和団事件の際に 中国東北地方(満州) を占領し、事件後も軍隊を引き揚げなかったのです。ちなみに、満州から南に進めばすぐに 朝鮮 にたどり着くことができます。
この動きに ある国 が強く反発しました。それは、朝鮮進出を進めていた 日本 です。
1894~1895年の日清戦争で勝利した日本は、清に 朝鮮の独立 を承認させました。その後朝鮮は、自分が独立国であることを示すために、1897年に 大韓帝国 という国号を採用しました。
日本の狙いは、朝鮮を中国から独立させ、朝鮮への進出を強めることにありました。そんな日本にとって 朝鮮のすぐ近くまでロシアが進出してくることは脅威だったのです。
日露戦争の勃発!
日本とロシアの対立は深まり、1904年に日本が攻撃を仕掛けたことで 日露戦争 が開戦しました。
欧米列強の一角ロシアと、アジアの小国日本。一見すると戦力に大きな差があるように思われましたが、ロシアは思いのほか苦戦することになりました。
1905年の 日本海海戦 では、ロシアが誇るバルチック艦隊が日本海軍に敗れる結果となりました。その他の戦いでもロシア軍は日本軍に敗れ、ロシアは徐々に劣勢に立たされていきました。
さらにロシア国内では、戦争中止や政権への不満を訴える 第1次ロシア革命 が発生し、ロシアは戦争継続が困難になりました。
一方、日本も戦費の増大など国力の消耗が激しく、戦争継続が困難になりました。こうして両国は 講和条約 を結ぶことになったのです。
ポーツマス条約の締結
1905年、アメリカ大統領 セオドア=ローズヴェルト の仲介で、日本とロシアは ポーツマス条約 を締結しました。
日本は 韓国の指導・監督権 を認められ、さらに 遼東半島南部 の租借権、および 南樺太 の領土を獲得しました。
さらに日本は 南満州鉄道 とその沿線の利権を獲得したのです。こうして日本は 朝鮮および中国東北部への影響力を強めることになりました。
以上、中国・朝鮮をめぐる日本とロシアの対立でした。両者は日露戦争で激突し、戦争を有利に進めた日本が朝鮮や中国東北部への影響を強めることになったのです。しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「日露戦争とポーツマス条約」です。
義和団事件の後、中国では日本とロシアが対立を深め、ついには 日露戦争 へ発展することになりました。その経緯を確認していきます。