5分でわかる!日本の朝鮮支配完成!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「日韓協約と韓国併合」です。
前回の授業で 日露戦争 について勉強しましたね。日露戦争終結後、日本は朝鮮に対する支配を強めていきました。その様子を学習します。
日本の進出!日韓協約と韓国の保護国化
日本は朝鮮(韓国)に対する支配を強めるため、数回にわたって 日韓協約 を韓国と結びました。日露戦争中の1904年に 第1次日韓協約 が結ばれましたが、この内容は細かいので特に覚える必要はありません。
みなさんに覚えていただきたいのは、日露戦争が終わった後に結ばれた 第2次日韓協約 です。この協約によって韓国は 保護国化 されてしまいました。言い換えると 外交権を奪われてしまった のです。
外交権を奪った日本は、外交事務を管理する 統監府 という役所を韓国に設置し、その長官である 統監 に 伊藤博文 を任命しました。
韓国の反発!反日義兵闘争とハーグ密使事件
もちろん韓国の人たちも黙ってはいませんでした。20世紀初頭には 反日義兵闘争 が各地で激化したのです。
1907年には、韓国皇帝の高宗が、オランダのハーグで開かれていた第2回万国平和会議に 密使 を派遣する事件が起こりました。これを ハーグ密使事件 といいます。
韓国は日本による支配の無効を世界に訴えようとしましたが、会議に参加していた各国の代表にはとりあってもらえませんでした。ちなみに韓国は第2次日韓協約で 日本に外交権を奪われていた ため、「密使」を派遣せざるを得なかったのです。
第3次日韓協約/伊藤博文の暗殺
日本はこの事件を口実に高宗に退位を迫ると、韓国に 第3次日韓協約 の締結を強要しました。この協約により、韓国は 内政権を奪われてしまいました。
韓国では反日義兵闘争がさらに高まり、1909年には初代統監 伊藤博文 が、韓国のハルビン駅で 安重根 に殺害される事件が発生しました。
ちなみに安重根は、日本支配に抵抗した民族的英雄として、韓国の切手にも登場しています。
韓国併合/朝鮮総督府の設置
伊藤博文の暗殺を受けて、日本は1910年に 韓国併合 を行いました。韓国は完全に日本の植民地となり、「韓国」という国号が廃止されて「朝鮮」が正式な呼称となりました。
その後日本は 朝鮮総督府 を設置し、朝鮮の軍事・行政すべてを統轄することになりました。
帝国主義と東アジア、第3回。
今回は「朝鮮の行く末と清末の改革」について学習します。