5分でわかる!皇帝政治を終わらせ、民に力を!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「辛亥革命の発生と清の滅亡」です。
20世紀初頭の中国では 辛亥革命 と呼ばれる革命が発生し、約2000年間続いてきた 皇帝政治 が終焉を迎えることになりました。その様子を見ていきます。
幹線鉄道国有化宣言→四川暴動→武昌蜂起
1911年、清は 幹線鉄道国有化 を宣言しました。国有化した鉄道を担保に 外国から借金 することがねらいでした。
もちろん清にも考えがあったのですが、外国からお金を借りれば植民地化がさらに進んでしまいますよね。中国の民衆は国有化に反発し、 四川暴動 などの反対運動を起こしました。
四川暴動の発生を受けて、清は軍隊を派遣して鎮圧しようと考えました。ところが、中国の湖北省にいた軍隊が清を裏切り、 武装蜂起して独立を宣言したのです。 これを 武昌蜂起 といいます。
中華民国の建国→清の滅亡
武昌蜂起の影響で、中国各地の省が次々に独立を宣言しました。各省の代表者は団結し、1912年に 中華民国 を建国しました。臨時大総統として 孫文 が選ばれ、都は南京に置かれました。
清は強力な軍隊を統率する実力者 袁世凱 を総理大臣に起用し、中華民国を押さえ込もうと考えたのですが、なんと袁世凱は 孫文 と取引して 清を滅ぼしてしまいました。
この「取引」とは、袁世凱が清の皇帝 宣統帝(溥儀) を退位させる代わりに、孫文は臨時大総統の地位を袁世凱に譲るというものでした。中華民国の軍事力では袁世凱の軍隊には敵わないと判断し、孫文はこの取引を受け入れたのです。
袁世凱は約束どおりに 宣統帝 を退位に追い込み、この退位によって清は滅亡することになりました。
1911年の武昌蜂起をきっかけに 辛亥革命 が始まり、中華民国が建国されると、強力な軍隊を有する袁世凱は清を裏切り、 孫文 と取引して 宣統帝 を退位に追い込んだのです。
この流れをしっかり覚えておきましょう。
帝国主義と東アジア、第4回。
今回は「辛亥革命」について学習します。