5分でわかる!新生!中華民国の抱えた苦悩
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この動画の要点まとめ
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袁世凱、臨時大総統に就任
前回の復習です。
袁世凱 は中華民国の 孫文 と取引し、清の皇帝(宣統帝)を退位させる代わりに、中華民国 臨時大総統 の地位を孫文から譲り受けることを約束しました。
約束どおり宣統帝を退位させた袁世凱は、1912年に 中華民国の臨時大総統に就任しました。 彼は首都を南京から北京へ移すと、次第に独裁色を強めていきました。
そんな袁世凱に対抗し、中国同盟会が中心となって 国民党 が結成されました。袁世凱の独裁に抵抗するために結成された組織です。
第二革命の発生
国民党と袁世凱は対立を強め、ついには 武力衝突 にまで発展しました。袁世凱の専制に反対する孫文らが武装蜂起を行ったのです。これを 第二革命 といいます。
第二革命は、強力な軍隊を有する袁世凱の勝利に終わりました。敗れた国民党は解散処分となり、袁世凱は 正式な大総統に就任しました。
第三革命の発生
正式な大総統に就任した袁世凱は独裁をすすめ、なんと 皇帝の地位に就こうとしました。 これに対し、革命派や国内の軍部らは武装蜂起を行いました。これを 第三革命 といいます。
袁世凱の皇帝即位には、国内だけではなく国外からも反発がありました。ヨーロッパや日本は、皇帝政治の復活が自らの植民地支配の障害となることを警戒したのです。
こうした反発を受け、袁世凱は1916年に帝政復活の取り消しを宣言しました。その数ヵ月後、彼は失意のうちに病死してしまいました。
袁世凱の死後は、各地に 軍閥 と呼ばれる勢力が割拠し、北京政府の実権をめぐって争うようになりました。軍閥とは、かつて袁世凱の部下だった軍人たちが組織した軍事集団だと考えてください。
このように、袁世凱による独裁が終了した後も、中国では 軍人たちが政権を握る状態 が続き、一般民衆による政治が実現することはありませんでした。これが中華民国が抱えた「悩み」なのです。
ポイントの2つ目は「袁世凱の独裁」です。
1912年に誕生した 中華民国 は、清の滅亡後にある「悩み」を抱えることになりました。いったいどんな「悩み」だったのでしょうか?